第3回 腱鞘炎でファミリーサポートを利用する

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

ファミリーサポートセンターに相談する

産後から4か月、なんとかだましだましやってきた腱鞘炎が悪化し、接骨院に通院することになりました。ここからさらに4か月経ったら、仕事に復帰しなければなりません。子どもの発熱などで、保育園で預けられないときに見てもらえる方が必要となります。そこで、ファミリーサポートセンターに相談をしました。
事務局の方とサポートしてくださる方が、我が家まで面接に来てくださいました。優しい声かけで、私の体調を気遣ってくださり、涙が出るほど有り難かったことを覚えています。
有料ではありますが、ほとんどボランティアのような金額で、本当に申し訳ない気持ちになりました。

サポートを依頼する

サポートしてくださる方は、自宅から歩いて15分ほどのところに住んでいらっしゃるご年配のOさんという女性でした。穏やかな話し方で「大丈夫よ」とおっしゃってくださいました。
通院の帰りには、買い物にも寄り、週に1度、1時間半から2時間ほどでしたが、子どもからほんの少し離れて、リフレッシュする時間をとれるようになりました。

体調が戻らない。もしかして産後うつ?

腱鞘炎の方は、包帯で固定している間は不自由ながら痛みはないのですが、お風呂や寝るときに外したあと、親指を開いてしまうと痛みが走る状態が続いていました。
それに加えて、身体中の関節の痛みが出てきました。ストレッチは毎日やっていましたが、慢性的な睡眠不足と筋力低下で関節がギシギシと痛み出しました。
夫が心配して声をかけてくれても、「痛い」としか言えませんでした。
娘は、話しかけたり笑いかけても、めったに笑い返してくれることがなかったので、他の赤ちゃんが笑っているのを見ると悲しい気持ちになりました。
自分が情けなくて仕方なくて、今思えば、これが「産後うつ」だったのだと思います。

整体の師匠のところへ行く

整体の師匠は逗子に住んでいて、秦野からは電車で2時間、車で1時間半くらいかかります。夫は目の問題があり、運転ができません。授乳の時間もあるため、整体を受けたくても行くことができませんでした。
 しかし、身体が限界を迎えていて、腱鞘炎もあり、自分で整体することもできない中、これはもう行くしかない、と意を決し、家族全員でうかがわせていただくことにしました。
 私が整体を受けている間、娘を夫に見てもらい、両手とも腱鞘炎でも自分で治せる方法を教えてもらいました。

ようやく体調を取り戻す

整体で骨盤の歪みを治してもらってからは楽になり、精神的にも元気になってきたので、もっと早く行けばよかったと心底思いました。
腱鞘炎も徐々に良くなり、包帯を外しても前ほど痛みがなくなってきたので、サポーターに切り替えました。

接骨院への通院はやめて、サポートのOさんには、泣くばかりで笑わない娘の様子を見てもらいながら、私の話しを聞いてもらったり、育児を手伝ってもらうことにしました。

一時的ではありましたが、自分が産後うつの状態だったのだと認識し、骨盤を整えて身体を楽にすることで、心にも少しずつ変化が起きるきっかけになるのだと思いました。

あのとき私が、整体やサポートを依頼していなければ、自分が情けない母親だと責め続け、殻に閉じこもった上に、夫も巻き込んで抜け出せない状態になっていたかもしれません。

保育園の見学に行く

娘は7月生まれですが、保育園には4月入園でないと希望のところには入りにくいと聞いたので、4月に仕事復帰することにしました。12月には入園申し込み書類を出さないといけないので、その前に保育園の見学に行きました。保育士さんたちは皆笑顔で、園長先生もじっくりと話を聞いてくださり、ここに早く預けたいと思うようになりました。一時保育についても聞きましたが、「今はいっぱいです」とのことで、残念ながらあきらめました。

育児支援センターに行ってみる

身体が楽になってきたこともあり、仕事復帰する前に徐々にいろんな刺激を与えていこうと思い、支援センターに行ってみました。復帰したら私自身も子育てのコミュニティに参加できなくなると思ったからです。
ところが着いたとたんに娘はぐずり始め、スタッフさんや他のママたちとも話ができない状態になってしまいました。あまりの大泣きに早々に退散しましたが、笑顔の赤ちゃんたちやママさんたちを見て、より一層孤独を感じてしまいました。仕事の都合で引っ越してきたこの土地で、何のつながりもなく、子育てしていくのは寂しいなあ、難しいなあと思いました。

離乳食セミナーに行ってみる

体調はだいぶ回復したので、離乳食セミナーにも参加してみることにしました。同じくらいの月齢の子が集まるので、もしかして他のママとも会話できるかもしれない、と思ったからです。
畳の部屋に娘をごろんと寝かせたとき、娘がとなりの男の子を見て、にこっと笑ったのです。めったに笑わない娘が!これは何かの縁かも、勝手な勘違いでもいいや、と思いつつ、その男の子のママに勇気を振り絞って話しかけてみました。その方も、「仕事の都合で引っ越してきたので誰も知り合いがいなくて」と話されていて意気投合。メアド交換して連絡を取り合うことになりました。

離乳食を食べない

生後5か月を過ぎたので、そろそろ離乳食を始めてみようと思いました。
初めはすぐに吐き出してしまうので、仕方ないかと思っていたら、その後も、手を変え品を変えても、吐き出し続け、結局食べないまま保育園入園に「突入」しました。ミルクも飲まない、完全母乳だけになってしまったまま、離乳食も一切食べない状態で8か月が過ぎ、保育園に入園してから保育士さんに相談することになりました。(つづく)

第2回 乳腺炎から腱鞘炎となる

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

乳腺炎で毎日訪問診療してもらう

乳腺炎になってから、ひまわり助産院の丸山さんには毎日訪問してもらいました。熱は下がったものの、娘がおっぱいを吸えないのは相変わらずで、おっぱいはガチガチのままで、詰まってはマッサージの繰り返しでした。「ミルクを足さないと体重が減ってしまう。いっそ母乳をやめようか」・・・・・・とても迷いました。
その上、「おっぱい飲みたいのに飲めない~」っと身体を反らして泣きじゃくる娘を支えようとしたためか、左の親指の靭帯が伸びたような痛みが出始めました。
吸わせ方や体勢を変える方法を丸山さんにアドバイスしていただき、少しずつ飲めるようになったのですが、慣れない体勢に、親指と手首が痛くなってきていました。
おっぱいもミルクも少しずつしか飲めないので、すぐにおなかが空いて泣き始めました。夜中はミルクをあげてもすぐに泣くので、1時間毎にあげていました。まだ授乳に30分かかっていたので、30分休んだらまた授乳、の繰り返しでした。

昼夜逆転で眠れない日々

長い夜を過ごして、ようやく朝になると、急にぐっすり寝始め、お昼頃から2時間毎に授乳し、夜中は1時間毎に授乳というパターンが続きました。細切れにしか寝られない私の頭は、常に朦朧としていました。

おっぱいが飲めない原因は舌癒着症

母乳もミルクも途中ですぐに離してしまってうまく吸えないという状態について、本やネットで調べ、舌小帯の癒着が原因ではないかと思い至りました。丸山さんに相談し、大和市にある専門の病院を紹介してもらいました。
その病院で「舌癒着症ですね」とすぐに言われ、1週間後にレーザー治療で癒着している部分を切ってもらうことになりました。「喉にポリープもできてますよ。泣かせすぎですね」と言われて、悲しくなりました。ひたすらおっぱいをあげても抱っこしても、どうやっても泣くのですから。

レーザーで舌癒着部分を切る

1週間後、決められた時間に行くと、10組以上並んでいて、待合室ではスーツケースを持って、県外から来たと話しているご家族も何組かいました。月齢の短い順に呼ばれるとのことで、生後1か月だった娘は1番目で、数分で終了しました。かなり泣き続けて可哀そうでしたが、何度も授乳をしているうちに、だんだん吸えるようになってきました。

無呼吸とイビキも治る

生まれてすぐからイビキのような音を立てていたのですが、これもまた舌癒着症が原因だったようです。夜、寝たかなと思うとイビキが聞こえてきて、「赤ちゃんなのに何でイビキ?」と心配になり、しばらくじっと見ていると、無呼吸の時間があり、秒数を数えているうちに呼吸再開。心配で眠れなくなる、の繰り返し。これも私を眠らせない原因でした。
手術後、この無呼吸とイビキが改善されました。授乳の間隔も長くなってきて、ミルクを足す必要もなくなりました。乳腺炎も、しこりは残るものの、痛みはなくなりました。

乳腺炎は治ったが昼夜逆転は直らず

ただ、朝方に熟睡して夜中に泣き続けるというパターンは相変わらずで、別の部屋で寝ている夫を起こすと仕事ができなくなってしまうと思い、夜中に抱っこし続けていました。

夜中に泣き続けて全く寝ない子っていないのかなあと、近所で会った子連れのママに話しかけて聞いてみたり、子育て支援センターの方に相談したりしたのですが、たまたまなのか、「うちはそういうことなかったわ」と言われてしまい、孤独を感じました。

昼夜逆転が直ったきっかけ

その後も昼夜逆転の生活が2か月ほど続き、もう相談するのはやめようかなあと思っていた頃、「うちもそうだった」という人に出会いました。「どんなにぐっすり寝てても、朝日の当たる窓際に寝かせてお腹を出して、朝日を当てると、だんだん起きる時間がズレて、夜寝てくれるようになるわよ」とのことでした。
早速やってみたところ、1~2時間ずつ寝る時間が早まり、明け方に熟睡していたのが、夜中過ぎ頃に寝てくれるようになってきました。1週間後には夜中の抱っこが短くても寝てくれるようになり、朝、ぱちっと起きてくれるようになりました。この3か月は何だったのか。昼夜逆転を治すには、朝日を浴びること。今では常識になっていますが、16年前はまだ知りませんでした。

気が付いたら腱鞘炎

気が付くと腱鞘炎は左の親指から手首、右の親指まで痛みが広がり、ゴムのズボンやパンツを上げるのも辛くなってきました。フライパンを持ち上げ、菜箸で野菜をかき混ぜるとき、いちいち「いたっ」と言っていました。
これはまずい、と思い、近くの整形外科を受診したところ、「手を使わないように」と言われて湿布を出されただけでした。仕方なく湿布を貼ると、あっという間に剥がれ、赤くなってかゆくなったので、あえなく終了。

整形外科、接骨院・・・

ならばと、接骨院に行ってみると、「親指が開かないように固定した方がいいです」と言われて、両手とも板を入れて親指から肘まで白い包帯でぐるぐる巻きにされました。親指以外の指を使ってハンドルを回すので、車の運転も危険な状態でした。ゾンビのような恰好で帰ってきたら、夫がびっくりしていました。
子どもの世話も自分の世話も不自由になってしまった上に、まったく家事ができなくなっていました。ほとんど眠れずとても痛くて辛いことを、ずっと訴えてきたのですが、なかなかわかってもらえませんでした。ところが、白い包帯を巻かれただけで、夫は、「豊田(愛知)のお母さんを呼んだ方がいいよ」と言いました。見た目のインパクトって重要なんだなとあらためて思いました。

母にヘルプをお願いする

母がいてくれた1週間は家事や抱っこを分担してもらえただけでも炎症も少しおさまってきたように感じましたし、何より精神的に楽になりました。
ただ、包帯をはずすと親指が離れた瞬間に痛みが走るので、当分包帯は外せそうにありませんでした。
通院を続けることを考え、子どもを預けるため、ファミリーサポートセンターに相談することにしました。(つづく)

第1回 切迫早産による筋力低下から腱鞘炎への道

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

第1回 切迫早産による筋力低下から腱鞘炎への道

産後トラブルは妊娠前から始まっていた

私の産前・産後はトラブルだらけでした。乳腺炎と全身の痛み、昼夜逆転で夜寝ない子を抱っこし続けて腱鞘炎になり、イライラとうつ状態の繰り返しでした。後から考えれば、これは妊娠前から始まっていたのです。

妊娠できない状況と体の不調

私は看護師として、訪問看護とケアマネジャー、そしてすべての責任者を兼務する中間管理職でした。すでに産休中のスタッフや育休明けで休みが必要なスタッフのフォローで、常に人員不足、残業の日々でした。子どもは欲しいけれど、もともとの体調不良に加えて、これ以上の人手不足ではつぶれてしまうという思いもあってか、なかなか妊娠しませんでした。

整体による不妊治療

しかし、子どもを授かりたいという想いは強く、股関節の治療で通っていた整体の師匠に相談し、集中的に骨盤矯正をしてもらい、やっと妊娠しました。喜びもつかの間、職場の人手不足は相変わらずで、6か月を過ぎた頃からお腹が張り始め、医師から安静にするようにと言われながらも休むことはできませんでした。大きいお腹が引っ掛かりながら寝たきりのお年寄りを車いすに移したり、お風呂に入れたり、リハビリをしたりと働き続け、一日中車で移動していました。

切迫早産になる

ようやく育休明けのスタッフに引き継ぎが終わったのは、32週に入ってからでした。それから、身体を起こせないほどの痛みが続き、徐々に寝たきりになっていき、36週で早産になってしまいました。おそらくこの間に筋力低下が急激に起こっていて、産後は、妊娠前より体重が5キロ減っていました。出産前は、寝たきりの患者さんを起こせたのに、産後に3キロ弱の娘を授乳で抱っこし続けると疲れてしまうなんて、本当に信じられませんでした。

おっぱいが吸えない

とにかく、すぐに疲れて眠くて、でもすぐに授乳しなくてはいけないのに眠れなくて。待望の我が子はかわいいのに、身体が辛い。授乳しようとしても、娘は吸えずに泣き続けます。おっぱいの乳首の形がつぶれているため、助産師さんから、「ニプル」という、哺乳瓶の先のような形の器具をおっぱいに付けることをすすめられました。娘がその器具に慣れるのにも時間がかかりました。くわえて吸えなくて口を開けると落っこちてしまい、消毒して、また付けて、泣きすぎて吸えなくなり、寝てしまう、起こしてまた吸わせての繰り返しで、授乳と抱っこに、かなりの時間がかかってしまいました。

母乳をあきらめてミルクだけにするか迷っていたところ、助産師さんが母乳マッサージをしてくださり、母乳が出るようになってきました。翌日退院とになりましたが、バタバタしているうちに、おっぱいがまた張ってきていました。娘はまだ吸い付けないままで、ミルクを足していました。退院した日には、実家の母が来てくれて、夕食に赤飯を焚いてくれ、天ぷらまで作ってくれました。うれしくて食べ過ぎたと思います。

乳腺炎になる

その夜、急な悪寒がやってきて、歯と歯が合わせられないほどガチガチと震えて、毛布を引っ張り出しました。真夏の夜なのに、寒くて死にそうなほどです。ようやく温まってきたと思っていたら、今度は急激に暑くなり、びっしょりの汗。すぐにふとんをはいで、熱を測ると、40℃。今までみたことのない体温にびっくりしました。そしておっぱいはガチガチに固まっています。母乳はほぼ出ない状態になってしまいました。これが乳腺炎なのか、恐ろしい、と思いました。

ひまわり助産院に助けを求める
入院中に知り合ったママから聞いた、母乳ケアをしてくださる開業助産師さんのことを思い出し、翌朝電話をしました。ひまわり助産院の丸山さんという方でした。熱があって動けないと伝えたところ、訪問してくださることになりました。診察していただいたところ、退院してすぐにここまでガチガチに固まってしまうのも珍しいと驚かれました。考えられる原因は、いくつかありました。

乳腺炎の原因

まず、乳首の形がつぶれていて、うまく吸えないこと、吸う力に応じて徐々に乳腺が開通していくのですが、退院前にマッサージでかなり開通したにもかかわらず、うまく吸えなかったために詰まってしまったこと。
次に、食事。赤飯などのもち米は、母乳の分泌を促すので、母乳が足りないときにはいいけれど、分泌しているのに吸いきれないときは、詰まる原因になってしまうこと。油や砂糖は特につまりやすいので、控えることが必要だったのです。私はもともと脂っこいものも甘いものも大好きだったので、もしかしたら妊娠中から詰まっていたのかもしれません。
丸山さんからは、炎症を起こしたおっぱいの熱を取るために、キャベツでシップがわりにする方法も教えていただきました。あっという間に訪問時間を超過してしまいました。お忙しい中、ていねいに説明してくださったのを覚えています。

他の要因は多々あり、産休ギリギリ前まで仕事をしたり、切迫でお腹が痛くて不眠が続いていたこと、引っ越しをしたこと、高齢出産であったこと等々、考えだしたらキリがないほどです。

乳腺炎から腱鞘炎へ

その後も娘がうまく吸えないのは相変わらずで、熱は下がったものの、おっぱいの炎症は続くため、翌日も訪問していただきました。吸いつかせ方、授乳の抱っこの仕方等々、いろいろと教えていただいたのですが、肩に力が入ったままで、必死におっぱいと娘の頭をつかんでくわえさせるのを繰り返していたため、だんだんと手首と首が痛くなってきました。

今振り返ってみれば、これが腱鞘炎の始まりだったのだと思います。授乳に必死になりすぎて、ひどい授乳の姿勢で、骨盤も背骨も曲がり、後の不調につながったのだと思います。(つづく)

第3回 腱鞘炎でファミリーサポートを利用する

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

ファミリーサポートセンターに相談する

産後から4か月、なんとかだましだましやってきた腱鞘炎が悪化し、接骨院に通院することになりました。ここからさらに4か月経ったら、仕事に復帰しなければなりません。子どもの発熱などで、保育園で預けられないときに見てもらえる方が必要となります。そこで、ファミリーサポートセンターに相談をしました。
事務局の方とサポートしてくださる方が、我が家まで面接に来てくださいました。優しい声かけで、私の体調を気遣ってくださり、涙が出るほど有り難かったことを覚えています。
有料ではありますが、ほとんどボランティアのような金額で、本当に申し訳ない気持ちになりました。

サポートを依頼する

サポートしてくださる方は、自宅から歩いて15分ほどのところに住んでいらっしゃるご年配のOさんという女性でした。穏やかな話し方で「大丈夫よ」とおっしゃってくださいました。
通院の帰りには、買い物にも寄り、週に1度、1時間半から2時間ほどでしたが、子どもからほんの少し離れて、リフレッシュする時間をとれるようになりました。

体調が戻らない。もしかして産後うつ?

腱鞘炎の方は、包帯で固定している間は不自由ながら痛みはないのですが、お風呂や寝るときに外したあと、親指を開いてしまうと痛みが走る状態が続いていました。
それに加えて、身体中の関節の痛みが出てきました。ストレッチは毎日やっていましたが、慢性的な睡眠不足と筋力低下で関節がギシギシと痛み出しました。
夫が心配して声をかけてくれても、「痛い」としか言えませんでした。
娘は、話しかけたり笑いかけても、めったに笑い返してくれることがなかったので、他の赤ちゃんが笑っているのを見ると悲しい気持ちになりました。
自分が情けなくて仕方なくて、今思えば、これが「産後うつ」だったのだと思います。

整体の師匠のところへ行く

整体の師匠は逗子に住んでいて、秦野からは電車で2時間、車で1時間半くらいかかります。夫は目の問題があり、運転ができません。授乳の時間もあるため、整体を受けたくても行くことができませんでした。
 しかし、身体が限界を迎えていて、腱鞘炎もあり、自分で整体することもできない中、これはもう行くしかない、と意を決し、家族全員でうかがわせていただくことにしました。
 私が整体を受けている間、娘を夫に見てもらい、両手とも腱鞘炎でも自分で治せる方法を教えてもらいました。

ようやく体調を取り戻す

整体で骨盤の歪みを治してもらってからは楽になり、精神的にも元気になってきたので、もっと早く行けばよかったと心底思いました。
腱鞘炎も徐々に良くなり、包帯を外しても前ほど痛みがなくなってきたので、サポーターに切り替えました。

接骨院への通院はやめて、サポートのOさんには、泣くばかりで笑わない娘の様子を見てもらいながら、私の話しを聞いてもらったり、育児を手伝ってもらうことにしました。

一時的ではありましたが、自分が産後うつの状態だったのだと認識し、骨盤を整えて身体を楽にすることで、心にも少しずつ変化が起きるきっかけになるのだと思いました。

あのとき私が、整体やサポートを依頼していなければ、自分が情けない母親だと責め続け、殻に閉じこもった上に、夫も巻き込んで抜け出せない状態になっていたかもしれません。

保育園の見学に行く

娘は7月生まれですが、保育園には4月入園でないと希望のところには入りにくいと聞いたので、4月に仕事復帰することにしました。12月には入園申し込み書類を出さないといけないので、その前に保育園の見学に行きました。保育士さんたちは皆笑顔で、園長先生もじっくりと話を聞いてくださり、ここに早く預けたいと思うようになりました。一時保育についても聞きましたが、「今はいっぱいです」とのことで、残念ながらあきらめました。

育児支援センターに行ってみる

身体が楽になってきたこともあり、仕事復帰する前に徐々にいろんな刺激を与えていこうと思い、支援センターに行ってみました。復帰したら私自身も子育てのコミュニティに参加できなくなると思ったからです。
ところが着いたとたんに娘はぐずり始め、スタッフさんや他のママたちとも話ができない状態になってしまいました。あまりの大泣きに早々に退散しましたが、笑顔の赤ちゃんたちやママさんたちを見て、より一層孤独を感じてしまいました。仕事の都合で引っ越してきたこの土地で、何のつながりもなく、子育てしていくのは寂しいなあ、難しいなあと思いました。

離乳食セミナーに行ってみる

体調はだいぶ回復したので、離乳食セミナーにも参加してみることにしました。同じくらいの月齢の子が集まるので、もしかして他のママとも会話できるかもしれない、と思ったからです。
畳の部屋に娘をごろんと寝かせたとき、娘がとなりの男の子を見て、にこっと笑ったのです。めったに笑わない娘が!これは何かの縁かも、勝手な勘違いでもいいや、と思いつつ、その男の子のママに勇気を振り絞って話しかけてみました。その方も、「仕事の都合で引っ越してきたので誰も知り合いがいなくて」と話されていて意気投合。メアド交換して連絡を取り合うことになりました。

離乳食を食べない

生後5か月を過ぎたので、そろそろ離乳食を始めてみようと思いました。
初めはすぐに吐き出してしまうので、仕方ないかと思っていたら、その後も、手を変え品を変えても、吐き出し続け、結局食べないまま保育園入園に「突入」しました。ミルクも飲まない、完全母乳だけになってしまったまま、離乳食も一切食べない状態で8か月が過ぎ、保育園に入園してから保育士さんに相談することになりました。(つづく)

第2回 乳腺炎から腱鞘炎となる

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

乳腺炎で毎日訪問診療してもらう

乳腺炎になってから、ひまわり助産院の丸山さんには毎日訪問してもらいました。熱は下がったものの、娘がおっぱいを吸えないのは相変わらずで、おっぱいはガチガチのままで、詰まってはマッサージの繰り返しでした。「ミルクを足さないと体重が減ってしまう。いっそ母乳をやめようか」・・・・・・とても迷いました。
その上、「おっぱい飲みたいのに飲めない~」っと身体を反らして泣きじゃくる娘を支えようとしたためか、左の親指の靭帯が伸びたような痛みが出始めました。
吸わせ方や体勢を変える方法を丸山さんにアドバイスしていただき、少しずつ飲めるようになったのですが、慣れない体勢に、親指と手首が痛くなってきていました。
おっぱいもミルクも少しずつしか飲めないので、すぐにおなかが空いて泣き始めました。夜中はミルクをあげてもすぐに泣くので、1時間毎にあげていました。まだ授乳に30分かかっていたので、30分休んだらまた授乳、の繰り返しでした。

昼夜逆転で眠れない日々

長い夜を過ごして、ようやく朝になると、急にぐっすり寝始め、お昼頃から2時間毎に授乳し、夜中は1時間毎に授乳というパターンが続きました。細切れにしか寝られない私の頭は、常に朦朧としていました。

おっぱいが飲めない原因は舌癒着症

母乳もミルクも途中ですぐに離してしまってうまく吸えないという状態について、本やネットで調べ、舌小帯の癒着が原因ではないかと思い至りました。丸山さんに相談し、大和市にある専門の病院を紹介してもらいました。
その病院で「舌癒着症ですね」とすぐに言われ、1週間後にレーザー治療で癒着している部分を切ってもらうことになりました。「喉にポリープもできてますよ。泣かせすぎですね」と言われて、悲しくなりました。ひたすらおっぱいをあげても抱っこしても、どうやっても泣くのですから。

レーザーで舌癒着部分を切る

1週間後、決められた時間に行くと、10組以上並んでいて、待合室ではスーツケースを持って、県外から来たと話しているご家族も何組かいました。月齢の短い順に呼ばれるとのことで、生後1か月だった娘は1番目で、数分で終了しました。かなり泣き続けて可哀そうでしたが、何度も授乳をしているうちに、だんだん吸えるようになってきました。

無呼吸とイビキも治る

生まれてすぐからイビキのような音を立てていたのですが、これもまた舌癒着症が原因だったようです。夜、寝たかなと思うとイビキが聞こえてきて、「赤ちゃんなのに何でイビキ?」と心配になり、しばらくじっと見ていると、無呼吸の時間があり、秒数を数えているうちに呼吸再開。心配で眠れなくなる、の繰り返し。これも私を眠らせない原因でした。
手術後、この無呼吸とイビキが改善されました。授乳の間隔も長くなってきて、ミルクを足す必要もなくなりました。乳腺炎も、しこりは残るものの、痛みはなくなりました。

乳腺炎は治ったが昼夜逆転は直らず

ただ、朝方に熟睡して夜中に泣き続けるというパターンは相変わらずで、別の部屋で寝ている夫を起こすと仕事ができなくなってしまうと思い、夜中に抱っこし続けていました。

夜中に泣き続けて全く寝ない子っていないのかなあと、近所で会った子連れのママに話しかけて聞いてみたり、子育て支援センターの方に相談したりしたのですが、たまたまなのか、「うちはそういうことなかったわ」と言われてしまい、孤独を感じました。

昼夜逆転が直ったきっかけ

その後も昼夜逆転の生活が2か月ほど続き、もう相談するのはやめようかなあと思っていた頃、「うちもそうだった」という人に出会いました。「どんなにぐっすり寝てても、朝日の当たる窓際に寝かせてお腹を出して、朝日を当てると、だんだん起きる時間がズレて、夜寝てくれるようになるわよ」とのことでした。
早速やってみたところ、1~2時間ずつ寝る時間が早まり、明け方に熟睡していたのが、夜中過ぎ頃に寝てくれるようになってきました。1週間後には夜中の抱っこが短くても寝てくれるようになり、朝、ぱちっと起きてくれるようになりました。この3か月は何だったのか。昼夜逆転を治すには、朝日を浴びること。今では常識になっていますが、16年前はまだ知りませんでした。

気が付いたら腱鞘炎

気が付くと腱鞘炎は左の親指から手首、右の親指まで痛みが広がり、ゴムのズボンやパンツを上げるのも辛くなってきました。フライパンを持ち上げ、菜箸で野菜をかき混ぜるとき、いちいち「いたっ」と言っていました。
これはまずい、と思い、近くの整形外科を受診したところ、「手を使わないように」と言われて湿布を出されただけでした。仕方なく湿布を貼ると、あっという間に剥がれ、赤くなってかゆくなったので、あえなく終了。

整形外科、接骨院・・・

ならばと、接骨院に行ってみると、「親指が開かないように固定した方がいいです」と言われて、両手とも板を入れて親指から肘まで白い包帯でぐるぐる巻きにされました。親指以外の指を使ってハンドルを回すので、車の運転も危険な状態でした。ゾンビのような恰好で帰ってきたら、夫がびっくりしていました。
子どもの世話も自分の世話も不自由になってしまった上に、まったく家事ができなくなっていました。ほとんど眠れずとても痛くて辛いことを、ずっと訴えてきたのですが、なかなかわかってもらえませんでした。ところが、白い包帯を巻かれただけで、夫は、「豊田(愛知)のお母さんを呼んだ方がいいよ」と言いました。見た目のインパクトって重要なんだなとあらためて思いました。

母にヘルプをお願いする

母がいてくれた1週間は家事や抱っこを分担してもらえただけでも炎症も少しおさまってきたように感じましたし、何より精神的に楽になりました。
ただ、包帯をはずすと親指が離れた瞬間に痛みが走るので、当分包帯は外せそうにありませんでした。
通院を続けることを考え、子どもを預けるため、ファミリーサポートセンターに相談することにしました。(つづく)

第1回 切迫早産による筋力低下から腱鞘炎への道

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

第1回 切迫早産による筋力低下から腱鞘炎への道

産後トラブルは妊娠前から始まっていた

私の産前・産後はトラブルだらけでした。乳腺炎と全身の痛み、昼夜逆転で夜寝ない子を抱っこし続けて腱鞘炎になり、イライラとうつ状態の繰り返しでした。後から考えれば、これは妊娠前から始まっていたのです。

妊娠できない状況と体の不調

私は看護師として、訪問看護とケアマネジャー、そしてすべての責任者を兼務する中間管理職でした。すでに産休中のスタッフや育休明けで休みが必要なスタッフのフォローで、常に人員不足、残業の日々でした。子どもは欲しいけれど、もともとの体調不良に加えて、これ以上の人手不足ではつぶれてしまうという思いもあってか、なかなか妊娠しませんでした。

整体による不妊治療

しかし、子どもを授かりたいという想いは強く、股関節の治療で通っていた整体の師匠に相談し、集中的に骨盤矯正をしてもらい、やっと妊娠しました。喜びもつかの間、職場の人手不足は相変わらずで、6か月を過ぎた頃からお腹が張り始め、医師から安静にするようにと言われながらも休むことはできませんでした。大きいお腹が引っ掛かりながら寝たきりのお年寄りを車いすに移したり、お風呂に入れたり、リハビリをしたりと働き続け、一日中車で移動していました。

切迫早産になる

ようやく育休明けのスタッフに引き継ぎが終わったのは、32週に入ってからでした。それから、身体を起こせないほどの痛みが続き、徐々に寝たきりになっていき、36週で早産になってしまいました。おそらくこの間に筋力低下が急激に起こっていて、産後は、妊娠前より体重が5キロ減っていました。出産前は、寝たきりの患者さんを起こせたのに、産後に3キロ弱の娘を授乳で抱っこし続けると疲れてしまうなんて、本当に信じられませんでした。

おっぱいが吸えない

とにかく、すぐに疲れて眠くて、でもすぐに授乳しなくてはいけないのに眠れなくて。待望の我が子はかわいいのに、身体が辛い。授乳しようとしても、娘は吸えずに泣き続けます。おっぱいの乳首の形がつぶれているため、助産師さんから、「ニプル」という、哺乳瓶の先のような形の器具をおっぱいに付けることをすすめられました。娘がその器具に慣れるのにも時間がかかりました。くわえて吸えなくて口を開けると落っこちてしまい、消毒して、また付けて、泣きすぎて吸えなくなり、寝てしまう、起こしてまた吸わせての繰り返しで、授乳と抱っこに、かなりの時間がかかってしまいました。

母乳をあきらめてミルクだけにするか迷っていたところ、助産師さんが母乳マッサージをしてくださり、母乳が出るようになってきました。翌日退院とになりましたが、バタバタしているうちに、おっぱいがまた張ってきていました。娘はまだ吸い付けないままで、ミルクを足していました。退院した日には、実家の母が来てくれて、夕食に赤飯を焚いてくれ、天ぷらまで作ってくれました。うれしくて食べ過ぎたと思います。

乳腺炎になる

その夜、急な悪寒がやってきて、歯と歯が合わせられないほどガチガチと震えて、毛布を引っ張り出しました。真夏の夜なのに、寒くて死にそうなほどです。ようやく温まってきたと思っていたら、今度は急激に暑くなり、びっしょりの汗。すぐにふとんをはいで、熱を測ると、40℃。今までみたことのない体温にびっくりしました。そしておっぱいはガチガチに固まっています。母乳はほぼ出ない状態になってしまいました。これが乳腺炎なのか、恐ろしい、と思いました。

ひまわり助産院に助けを求める
入院中に知り合ったママから聞いた、母乳ケアをしてくださる開業助産師さんのことを思い出し、翌朝電話をしました。ひまわり助産院の丸山さんという方でした。熱があって動けないと伝えたところ、訪問してくださることになりました。診察していただいたところ、退院してすぐにここまでガチガチに固まってしまうのも珍しいと驚かれました。考えられる原因は、いくつかありました。

乳腺炎の原因

まず、乳首の形がつぶれていて、うまく吸えないこと、吸う力に応じて徐々に乳腺が開通していくのですが、退院前にマッサージでかなり開通したにもかかわらず、うまく吸えなかったために詰まってしまったこと。
次に、食事。赤飯などのもち米は、母乳の分泌を促すので、母乳が足りないときにはいいけれど、分泌しているのに吸いきれないときは、詰まる原因になってしまうこと。油や砂糖は特につまりやすいので、控えることが必要だったのです。私はもともと脂っこいものも甘いものも大好きだったので、もしかしたら妊娠中から詰まっていたのかもしれません。
丸山さんからは、炎症を起こしたおっぱいの熱を取るために、キャベツでシップがわりにする方法も教えていただきました。あっという間に訪問時間を超過してしまいました。お忙しい中、ていねいに説明してくださったのを覚えています。

他の要因は多々あり、産休ギリギリ前まで仕事をしたり、切迫でお腹が痛くて不眠が続いていたこと、引っ越しをしたこと、高齢出産であったこと等々、考えだしたらキリがないほどです。

乳腺炎から腱鞘炎へ

その後も娘がうまく吸えないのは相変わらずで、熱は下がったものの、おっぱいの炎症は続くため、翌日も訪問していただきました。吸いつかせ方、授乳の抱っこの仕方等々、いろいろと教えていただいたのですが、肩に力が入ったままで、必死におっぱいと娘の頭をつかんでくわえさせるのを繰り返していたため、だんだんと手首と首が痛くなってきました。

今振り返ってみれば、これが腱鞘炎の始まりだったのだと思います。授乳に必死になりすぎて、ひどい授乳の姿勢で、骨盤も背骨も曲がり、後の不調につながったのだと思います。(つづく)