第12回 食事を見直して痩せる

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

妊娠中の爆食
 
そもそも産後すぐに乳腺炎になってしまったのは、妊娠中の爆食が原因だったのでは、と、母乳ケアをしてくださった助産師さんからのご指摘がありました。
私の食習慣において、妊娠前からほぼお米を食べていませんでした。パンか、パスタか、焼きそばなどの麺類が多く、オリーブオイルをたっぷり使い、カリっとした揚げ物も、チーズも、甘い物も大好きでした。食べる量も普通の女性の倍量以上で早食いでしたし、夏の出産だったので、氷を入れた冷たい飲み物しか飲んでいませんでした。
 
乳腺炎後の食事
 
乳腺炎になって、助産師さんに以下のように食事を改善するように伝えられました。
・まずはすべての食べものを良く噛むように。唾液から消化酵素が出て、赤ちゃんにとっても良い母乳になる。
・乳製品、砂糖、植物性の油は加熱すると酸化しやすく乳腺を詰まらせるので、やめるように。
・飲み物は常温か、温かいものを飲んで、母乳も体も冷やさないこと。
・利尿作用のあるカフェインの入っていない水分をこまめに、1日2L飲むように。
・和食にすること。特に根菜類は体を温めるので、多めに摂取すること。
 
体重が減る
 
洋食中心だった食習慣が、和食に変わっただけでもみるみると体重が減ってきました。暑い時期に常温や温かい飲み物を飲む習慣がなく、慣れるのにしばらくかかりました。飲むように食べていたフワフワのパンをやめたことで、砂糖をとらずにすむようになり、お米をよく噛むことで、お米の美味しさを知りました。
食事と飲み物を変えたことで、体重は1か月で3キロ減りました。
 
甘いものを断つ
 
1か月経って一番大変になってきたのは、砂糖断ちでした。パンを止めたことで甘い物がなくなり、お菓子やデザートを買うことを止めました。これは相当つらく、アルコール依存症の人がお酒を探すように、「どこかに甘いものはないか」と彷徨う「甘い物依存症」だったのだと自覚しました。そこで目をつけたのは「干し芋」でした。これは砂糖ではない、けれど、干し芋の中でも甘いものとそれほど甘くないものがあります。甘い干し芋は、砂糖並みに糖度が高いものもあります。この甘さは止まらなくなり、依存症を引き起こすことを実感しました。そのため、あえて甘くなく、固いものを選んで、よく噛むようにしました。
 
よく噛むことができる食べ物で口さみしさをなくす
 
次に、よく噛むことができるものを探しました。するめや玄米のおにぎり、スティック野菜などをキッチンに置いて、おなかが空いたら家事や授乳をしながら、ひたすら噛んで口さみしさを失くしていくようにしました。
気が付いたら3か月後には8キロ痩せていました。乳腺炎になった痛みと恐怖のトラウマのおかげで、もう二度となりたくないという思いで始めた食事療法でしたが、妊娠前よりすっきりして軽くなったことは思わぬ副産物でした。
 
花粉症が治る
 
花粉症とアレルギー性鼻炎のため、何十年も抗アレルギー剤を飲んできましたが、妊娠中は胎児への影響を考えて飲まなかったので、仕事中も鼻水が垂れて辛かったです。そして産後も母乳への影響を考えて、飲むのをやめていました。が、なぜか辛くない。あれ?体質が変わったのかな、と思っていました。
後々知ったことでしたが、パンや麺類を止めたことで、小麦グルテンによる腸への影響がなくなり、アレルギーを引き起こさなくなっていたのでした。そもそも日本人は小麦グルテン不耐症、乳糖不耐症の人が7~8割いると言われているため、食べ物のアレルギーがなくても、花粉症などのアレルギーを引き起こすということを知りました。
つまり、乳腺炎のための食事療法で乳製品や小麦、植物性の油、砂糖をとらなかったことで、腸内環境が改善し、花粉症も治ったのでした。
ところが、卒乳後、やっと食べられると解放されたかのようにパンや麺類を食べるようになったとたん、花粉症を再発しました。しかし、小麦を止めたら数十年来の花粉症も治るということを実感したのでした。
 
まとめ 健康な食習慣になった結果、痩せる
 
乳腺炎の恐怖から免れるために始めた食事療法でしたが、結果的に無理なく運動もせずに痩せられました。

1) 良く噛む(ひとくち30回以上)。噛むことで唾液が出るものを選んで食べる。
2) 常温か温かい飲み物をこまめに、カフェインの入っているものはカウントしないで、1日2L飲む。食事中に水分をとると消化酵素が薄まるので、食前か、食後1時間以上経ってから飲む。
3) 小麦・乳製品・植物性油・砂糖を控える(減らすときは大変だけれど、減らすより断つことで依存症から抜け出せるので、結果的には心身共に楽になる)
4) 植物性の油や砂糖で減ったカロリーを白米や玄米、肉魚卵豆類などのタンパク質を多めに食べて補う。

特に3)の小麦・乳製品・植物性油・砂糖は4毒と言われるほど、依存性が高いので、アルコールやタバコを止めるより大変と言われています。「食べるものがなくなる~」という声もよく聞きますが、「本来の日本人の体(腸)にとって毒じゃないものを食べよう」という視点で探せば、和食の世界が広がります。

産後のトラブルを通して、健康になるための転換期となり、私にとっては「災い転じて福となす」でした。子どもにとっても、健康的な食事にしていくことで、体つくりと食育ができると思います。

まずは痩せる目的でもいいので、食生活を見直してみませんか?

第11回 股関節痛の悪化で産後が大変になる

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

生涯のテーマとなった股関節痛

 
私の股関節痛の原因は、先天性の「臼蓋形成不全」という障害からくるものでした。本来、骨盤の中で股関節が抜けないように骨でカバーされている部分が、生まれつき欠けていて、股関節が脱臼しやすい形になっています。赤ちゃんの健診のときに股関節が開きにくいことで発見されることもありますが、あまりはっきり見られない場合は、レントゲンを撮って初めて発見されることがあります。
私の場合も30歳頃に、訪問看護で重い人を持ち上げたあとに左股関節が痛くなり、整形外科を受診したところ、念のために撮ったレントゲンで発見されました。
これまでの頭痛や腰痛は、この股関節の歪みが原因で、背骨や顎が歪んで様々な不調を起こしていたことがわかり、腑に落ちた瞬間でした。
股関節が脱臼しないよう自分の骨を切って足す「骨切り術」という手術を勧められましたが、いろいろと調べる中で、手術をしても痛みはなくならないことも多いことを知りました。
それからは重い物を持つときは、左股関節に重心をかけないように気を付けつつ、股関節が外れないように筋肉でカバーする筋トレを毎日続け、休みの日には整体を受け、教えてもらうことになりました。

 

切迫早産で筋力が落ちて悪化する

 
ところが、訪問看護の仕事はとても忙しく、妊娠中でも重い人を抱えることが多々ありました。切迫早産になってもお腹が張っても休めない状況が続いて、とうとう動けないほどお腹が痛くなりました。産休に入ったとたん、寝たきりになり、その2週間後に早産となりました。
お腹の皮とおっぱいだけがで~んと出ているにもかかわらず、手足はやせ細って妊娠前よりも体重が減っていたので、筋肉が落ちるスピードの速さに驚きました。
抱っこをしていても腰がグラグラして、腰も左股関節も痛くなり、腕の力もないので、あっという間に腱鞘炎になりました。睡眠不足が続いて産後うつのような状態になり、軽い体操でさえやれないほど、自分を立て直す気力もなくなっていました。育児を楽しむ余裕もなく、「子どもさえ何とか生きていてくれたらいい」という気持ちで授乳を仕事のようにしていたと思います。

 

股関節痛の悪化

 
半年ほど経ってから、グラグラしていた腰も固まってきて、靴下を履くのも大変なくらい体中がカチコチになって、股関節の痛みが一段とひどくなりました。杖とマジックハンドを購入し、近隣の接骨院や鍼灸院に通いましたが、なかなか良くなりませんでした。
「これはまずい、もう限界だ」と自分の体の悲鳴が聞こえるようになって、ようやく、「我が家からは遠くて行くのはたいへんだけれど、整体の師匠のところに行こう」という気持ちになりました。治療してもらってからは腱鞘炎も股関節痛も良くなりました。それに伴って塞ぎこんでいた気持ちも溶けたように軽くなり、しだいに育児が楽しめるようになりました。
まずは体から整えなくては、心も整えようがなかったのかもしれません。体が整ってきたら心を整えようという気持ちになれて、ようやく体と心が整ってきた感じがします。自分ではどうにもならないときは、まずは誰かに体を整えてもらう、というのは重要だと実感しました。

 

再び股関節痛の悪化

 
産後8か月で保育園の4月入園に合わせて仕事復帰し、少しずつ体を慣らしていきましたが、重労働は避けられませんでした。股関節が痛くなっては整体の師匠のところに駆け込むというのを繰り返していました。
仕事と育児の両立でいっぱいで、自分のケアを怠り、整体の師匠に頼るクセもついてしまっていました。産後うつを脱してからは、アドレナリン全開で走り回っている感じでした。
師匠からは、「こんなに頻繁に悪くなるような体の使い方を治して、悪くなってから駆け込むのではなくて、もっと自分で治せるように考えたらどうか。このままじゃあ、看護師の仕事は続けられなくなるよ」と毎回言われるようになりました。
「おっしゃる通りです」としか言えませんでした。教えていただいたセルフケアを続けようとしても、すぐに崩れてしまう自分にも自己嫌悪でした。
 あるとき、子どもの具合が悪くなって抱っこが増え、とうとうまた股関節がひどく痛み、歩けなくなるほどになりました。「子どもの具合が悪いのに、どうしよう」と焦りました。これまで習った方法を思い出しながらやってはダメ、これもダメ、と一晩中試して、明け方にようやく自分なりの方法がみつかりました。
 その後も何度か繰り返し、危機を脱してきましたが、子どもの熱がなかなか下がらず、病院の行き来と抱っこが増えて、どうやっても改善しないほど股関節の痛みがひどくなりました。
 とうとう長年勤めた管理職の仕事を辞める決意をし、パートで働きながら整体で開業をするための勉強を始めることにしました。師匠に治療してもらい、決意を伝えたところ、これからはプロとしてしっかり勉強しなさいと応援してもらえました。

また、娘が4歳の頃、頭痛を頻繁に訴えるようになり、検査をしても原因不明だったこともあり、整体で何とかしたいという思いを強くなっていました。
このことが転機になり、看護師を辞め、整体師として転職する決意もつきました。

 

産後の股関節のゆがみは女性の一生の問題を引き起こす

 
産後の自分を振り返ってみると、グラグラだった腰と股関節を産後の早い時期に整えておけば、ここまでひどくなることはなかったと後悔します。自分だけでなくもっと多くの女性の産後の体をなるべく早く整えられるようになりたいという思いが強くなりました。
また、産後の方の整体を専門にするようになってからは、実際には私のような臼蓋形成不全ではなくても、股関節がゆがんている方が多く、産後のユルユルの時期に治せばかなり良くなることもわかってきました。
そして産後の早い時期に治して仕事復帰してからも通ってくださる方は、更年期になっても、大きな不調なく働いていらっしゃいます。その方の「仕事で疲れた~」というお話をうかがいながらも、整体師になって良かったと思え、励まされています。

 

天職に転職

 
私自身の股関節の問題は整体師になっても続きましたが、そのたびにセルフケアがバージョンアップし、だんだん解決できるようになってきました。自分に困難な課題がやってきた、と思うと、様々な整体セミナーを受講し、勉強し続ける意欲がもらえます。
自分の障害を、不幸と思わず、愛でてあげようと思える、そんな体と、励ましをもらっている方々に感謝しています。

第10回 娘の頭の歪みと背骨の矯正を勉強して整体師を目指す

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

原因不明の頭痛を何とかしたい

 

娘が4歳のとき、朝から「頭が痛い」と言い、保育園を休む?と聞くと、「行きたいから行く」と言うので、心配しながら仕事に行っていました。保育園から帰ってくると、「ずっと頭が痛かった。でも楽しかった」という毎日で、心配で不安でたまらない日々が続きました。
大学病院で様々な検査をしても異常はなく、立ち上がると血圧が下がるので、「起立性調節障害」という診断名で薬をもらいました。その後も変化はなく、検査ではわからない何かがあるのではないか、他に手立てはないのか、そんな思いをずっと抱きながら仕事に行くのが辛かったのを覚えています。私に気を遣って、痛くても保育園に行きたいと言っているのではないかと思ったこともありました。

 

整体の師匠にみてもらう

 

子どもに整体はできるのか、じっとできるのかという不安がありましたが、師匠に相談して、看てもらうことになりました。
案の定、じっとしていることはできず、ほんのわずかな時間ではありましたが、背骨も頭も歪んでいるとのことで、そのせいで自律神経が乱れて頭痛が起きるのだろうということでした。歪んだ原因は、産道を通ったときの影響、あるいは赤ちゃんのときの向き癖などいろいろあるが、この年齢にしては歪み方がひどいので、生まれつきだろうとのことでした。生まれつきの場合は、治しても成長するたびに脳がもとに戻そうとして曲がっていくので、2~3か月に1度は背骨の矯正が必要になるとのことでした。
本人は、施術の後は楽になったというものの、翌日に好転反応のようなひどい頭痛が来て、その翌日からは良くなるのですが、それでも通うと言いました。親としては将来のことを考えたら諦めたくはないので、2~3か月に1度、成長が止まるまで通うと決めました。そして、ビデオを撮らせてもらい、私自身も家でできる方法を習得し、日替わりで頭や背骨、足などのケアをしていきました。師匠の施術は複雑で、感覚でしかわからないような難解な説明をされるので、私なりに理解したことを言語化すると、「違う」としか言われませんでした。そのため、なかなか原理がわからないまま、形だけをマネするという状況が続きました。

 

看護師を辞めて整体師に転職する

 

娘の頭痛症状には行きつ戻りつという状況が続きましたが、効果が出た時の娘の晴れやかな表情を見ると、私も整体師としてこのような子どもたちの役に立てたらという思いになりました。
20年続けてきた看護師を辞めるというのは重い決断ではありましたが、もっと勉強して、私自身でも娘を治していきたいという思いがありました。
休みの日だけ通っていた整体の勉強でしたが、看護師の仕事を退職して、整体の勉強をし、それから開業することにしました。

 

整体師として開業する

 

最初は看護師のパートと整体の仕事を副業として、自宅で開業しました。
産後のトラブルが多かった私は、私のような辛い思いをしてほしくないという思いで、「産後整体」という形で、産後の方を紹介してもらいました。赤ちゃんと一緒に、ときには知り合いの元保育士さんに赤ちゃんをみてもらったりして、じっくりやらせてもらいました。
小学生になった娘は、学校から帰ってきたら時々赤ちゃんの声が聞こえたり見かけたりするのを楽しみにするようになりました。

 

頭蓋骨専門の整体院に通う

 

娘の頭痛は少しずつ落ち着いてきていたのですが、中学生になると、通学でリュックが重くなったことと、勉強量が急に増え、これにスマホを見ることが重なり、首肩こりから再び頭痛がひどくなりました。気圧や睡眠不足による片頭痛も増えました。
師匠のところにはあまり行きたがらなくなってしまったこともあり、都心に買い物や見物がてら、頭蓋骨を専門にした整体院に通うことを誘ってみたら、行ってみると言いました。
ですが、さすが都心(!!)、10回で25万円でした。見させてもらうことで私の勉強にもなると思い、通い続けているうちに、娘の頭痛はかなり改善してきました。
師匠のやり方とミックスすることで、より効果が上がることがわかってきました。
娘の頭痛にはお互い悩まされましたが、試行錯誤を繰り返しながらお客様へも技を提供することにつながり、良い機会を与えてもらえて、娘にも感謝です。

 

赤ちゃんの頭の歪みはなるべく早く治した方がいい

 

赤ちゃんのときであれば、頭蓋骨はまだしっかりつながっていなくて柔らかいので、数週間で治る歪みも、成長してからだと時間もお金もかかってしまうことから、頭の歪みは早めにケアした方が良いと実感しました。

第9回 4歳、原因不明の頭痛が始まる

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

頭痛を訴える

 

4歳を過ぎてから、「頭が痛い」と言い出すようになりました。私自身、子どもの頃から頭痛がひどく、当時はCTもなく脳波だけでは原因がわからず辛かったのを思い出し、娘を検査に連れていくことにしました。

まずはCT撮影をしましたが、副鼻腔炎かな、腫瘍はない、と言われました。耳鼻科に通い、しばらく副鼻腔炎の抗生物質等を飲ませましたが、頭痛は改善しませんでした。

のちのち大学病院でMRI検査や脳波検査をしましたが、それも異常なく、結局は、「起立性調節障害」という診断名で、薬も処方されましたが、数か月経っても改善はしませんでした。

こんなに小さいうちから整体ってどうなのかなと思いつつ、私の通っていた整体の先生のところに連れていきました。みてもらったところ、頭のゆがみから頸椎~背骨が側弯症になりかけているとのことでした。治療してもらうと、すっきりした、と言い、元気になりました。

ただ、数週間でまた頭痛が出て、みてもらうと側弯してきているとのこと。骨が成長しながら曲がっていってしまうので、なんとか側弯症にならないようにと毎月通うことにしました。

後からわかったことなのですが、頭がゆがんでいると頸椎から背骨まで曲がっていってしまうのです。そのため、赤ちゃんの頃から向き癖をなるべく早く直していくことがとても大切なのでした。

 

向き癖からくる頭のゆがみ

 

赤ちゃんは頭を回転させながら産道を通って出てきますが、私のように固い骨盤を出てくるのは容易ではなく、柔らかい頭を変形させてようやく出てきます。歪んでいた場合、そのまま放っておくと向きやすい方向ばかりを向くようになり、頭の重みでへこんでしまうため、さらに向き癖が強化され、頸椎も背骨もそれに従って歪んでいってしまいます。

娘の場合は、頭が歪んでいたことで自律神経も調節しづらく、興奮状態が続いてしまったことで、なかなか泣き止ませんでした。抱っこが多かった上、抱っこの仕方も悪かったと思います。

これについても、後から知ったことでしたが、今では常識になっている「まんまる抱っこ」、お腹の中にいるように丸めてあげる抱っこで、スリングを使ってあげていればよかったのです。

 

生まれてすぐの頭のケアは本当に大切ということを、娘の頭痛を通して身に染みてわかりました。

 

その後もたくさんのトラブルはありましたが、今では、娘本人が自分でケアできる処方箋を持ち、自分で痛みに対処できるようになってなんとか過ごせているのが何よりだと思っています。

第8回 2歳半、この子、発達障害かも?

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

保育園から帰宅直後に泣き叫ぶ現象が始まる

娘の場合は自ら卒乳した経歴があるだけに、意志が固く、頑固なところがあるので、赤ちゃんの頃から「嫌なものはイヤ!」という意思表示が強い子でした。

ところが、保育園では聞き分けの良い「とても良い子」と言われていました。給食をいつも「おいしい」と言っておかわりし、転んでも他の子に叩かれてもぐっと我慢して泣かず、「強いね」と保育士さんに褒められていました。

2歳過ぎた頃から、保育園から帰宅して玄関の扉を閉めるなり、玄関でひっくり返ってギャーギャー大声で泣き始めるという現象が始まりました。いくらなだめても抱っこしても、ふんぞり返って抱っこから落っこちそうになるので下ろすと、そこから1時間は大声で泣き続けます。

何があったのかわからず、翌日に保育士さんに聞いても、原因がみつかりません。

まるで虐待をしているかのように大声で泣き続けるので、通報されないか心配になるくらいでした。

2歳半健診で相談する

病院に相談しようか迷っていたところ、ちょうど2歳半健診があったので、相談を申し込みました。心理療法士さんに状況を説明し、発達障害があるのではないかと相談しました。

しばらくおもちゃ遊びをしている様子を見ますと言われ、その後、娘と会話をしていました。いたって普通に受け答えをする娘を見て、その方は「発達障害はないようです」とおっしゃいました。

「ただ、受け答えがスムーズであっても、理解ができているとは限りません。大人が分かっているでしょという態度で話すと、実際には理解しきれずに感情がうまくコントロールできなくて混乱を起こすということがあります。2歳半の頃はまだ感情がうまくコントロールできない時期です。わかっている様に見えても、ていねいに一つ一つ理解しているかどうか確かめながらお話ししてあげてください」と言われました。

1歳前に単語を話し始め、2歳には話が通じるようになったので、わかっていると思い込んでしまっていたのかもしれません。「言葉」と「感情」がまだうまく結びついていないまま混乱し、かんしゃくを起こしていたのかもしれません。

アドバイスをいただいてからは、なるべく文章を短く、ゆっくり話しをして、どうしたいか聞くように気を付けていきました。

表と裏の顔

保育園から家に帰ってきたとたん、ひっくり返ってのグズリは3歳になる少し前まで続きました。「魔の2歳」と言われるように、2歳半がピークでした。

「もう良い子を演じるのは疲れた!」と言っていたのかもしれません。

娘が成長して分かったことですが、家族以外の人たちにはすごく気を遣い、「外面が良い」ところがあるようです。家が本音を出せる場所であるならば、それもまた良いのではと思うようになりました。

第7回 1歳半過ぎてもなかなか歩けない

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

 
1歳半を過ぎても歩けない
 
娘は1歳半を過ぎてもハイハイのままでした。
検診では特に問題なしと言われていましたが、ハイハイからなかなか立てず、同じ月齢の子たちが次々と歩き始めていたのに、娘はお座りしたまま遊んでいました。他の子と比べてしまうと焦りと不安が生じます。この子はのんびり成長するタイプなんだと思おうとしつつ、さすがに1歳半を過ぎてもまだ歩けないのは、私と同じ「臼蓋(きゅうがい)形成不全」(股関節の骨盤側のかぶりが悪い発育不全)があるのではないかと思い始めました。
 
遺伝?
 
私の場合は左の股関節を覆う骨盤が先天的に欠けているため、股間節が外に出てしまい、重いものを持ったり、自転車に長く乗って負荷をかけると痛みが出ます。遺伝したら困るなあという不安がありました。
もし「臼蓋形成不全」だったら、装具を付けたり、手術をする必要がある場合もあるからです。
 
私の場合は赤ちゃんのときに発見されなかったため、股関節が外に出たまま成長し、あぐらをすることができませんし、骨盤や背骨がだんだん曲がってしまい、子どもの頃は頭痛に悩まされていました。
当時は頭痛がひどかったので頭の検査をしても原因不明としか言われませんでしたが、大人になって股関節の痛みが出てレントゲンを撮って初めて「臼蓋形成不全」が分かり、子どもの頃からの不調の原因だったということが分かったのでした。
 
股関節の軽い不具合ですと発見されにくいこと多いようですが、程度の差はあるものの、女性の場合は10人に一人くらいの割合で股関節の不具合があると言われています。
 
足をひきずる
 
娘がようやく数歩歩きはじめたと思ったら、私の手につかまって、足をひきずるように歩く状態がしばらく続いたため、あまり喜べませんでした。整形外科では「臼蓋形成不全」ではないとは言われましたが、その後も様々な不調が出ました。
 
歩けないから転がる
 
歩けない分、高速ハイハイと転がることが得意でした。ヨチヨチ歩きよりは早いくらい、ハイハイが速いのです。時には横たわって足でグルグルと回ったり、転がったままおもちゃで遊ぶクセまでついてしまいました。
 
2歳近くになって安定して歩けるようになりましたが、ハイハイ歴が長かったためか、肋骨が分厚く、体格の良い女子になりました。

第6回 発熱でファミリーサポートさんにお願いする

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

 

保育園入園直後から発熱を繰り返す

 

8か月で入園した娘は、4月から6月までの間、2週間毎に熱を出しました。入園前まで鼻水を見たことがなかったのに、入園したとたん、鼻水を見ない日はないほど、常に垂れている状態になりました。

 

復帰したばかりの職場は、最初の頃は「無理せず休んでください」と言ってもらえて休めましたが、だんだん忙しくなってくると、「また?」という雰囲気が伝わってきます。

夏頃にようやく熱を出さなくなり、鼻水も見かけなくなりました。

 

ただ、少し涼しくなってきた秋からはまた熱と鼻水が復活しました。同じ年頃のお子さんを抱えるパートのママさんナースが何人かいて、保育園で風邪が流行り始めると、パートさんに優先して休んでもらうため、正規職員の私はどうしても休めない状況になりました。

時短勤務もできないほど忙しくなり、残業も増えてきました。

 

ファミリーサポートさんにお願いする

 

ある日、保育園から熱があると連絡があり、急いで仕事を終えて迎えに行き、病院に連れていったところ、風邪でしょうとのことでした。

職場でも、熱が出ているお子さんのために休みをとるナースがいて、私は休める状況ではありませんでした。

 

入園前からお願いしていたファミサポさんに連絡したところ、明日はどうしても外せない用事があると告げられました。

ファミリーサポートの事務局に電話をし、明朝に面接をして、そのままサポートに入れる方を探してもらえることになりました。

翌日は初めての方にいらしていただき、サポートをお願いすることができました。ただ、その翌日は都合が悪いとのことで、また別の方にお願いすることになりました。

 

最強のグズリ

 

娘の熱は少しずつ下がってきたのですが、まだ保育園に行ける状態ではありませんでした。鼻づまりがひどく、何度も鼻にチューブを入れて鼻水を吸っても鼻が詰まって熟睡できず、グズリが続きました。何度も起こされ、頭がぼーっとする中、朝から初めて会うサポートさんと面接をして出勤しました。

 

ちょうどお昼休み中に、ファミサポさんから携帯電話に連絡がありました。「ひどく暴れて抱っこできずに下ろしたら、背中を反ったまま壁の方まで行っちゃって、頭をぶつけそうになるほど暴れるんです!熱けいれんかもしれないので、救急車を呼んだ方がいいですか?」とのこと。

ドキっとしましたが、もしや、とも思ったので、「すぐに帰りますので、待っててください」と伝えました。

帰宅して状況を見たら、やはり、いつものグズリでした。「体調が悪かったり眠かったりするとグズリがひどくて背中を反って暴れるんです。お子さんたちはそういうことなかったですか?」とファミサポさんに聞くと、「3人ともそういうことがなかったんですよね~」と言われました。心の中で、「やっぱりうちの子はグズリに関しては最強だ!」と思いました。

 

赤ちゃんのときから、眠いとグズリがひどくて背中を反って暴れるために腱鞘炎になってしまったくらいでしたから。そしてこの惨状を見てもらえたことが逆に嬉しく思えました。ただ、残念なことに、このファミサポさんには二度と引き受けてもらえなくなりました。怖い思いをさせてしまい申し訳なかったと思います。でもうちの子は最強クラスですから、こういう子はなかなかいないと思いますよ~と言いたいところです。

 

ファミサポさんリレーで応援を受ける

 

その後もたびたび熱を出しては毎日別のファミサポさんにお願いするということがあり、本当にお世話になりました。そのたびに、「大丈夫ですよ、お仕事がんばってください」と励ましていただき、涙が出るほど嬉しかったです。

 

そして、ファミサポさんの都合がつかず、どうにもならなくなったとき、最後の「砦」として愛知の実家の母に来てもらうこともありました。

ただ、母は必ず「もう無理をしないで、パートの仕事にしたらどうなの?」と言うので、心身ともに疲れているときには本当にそうだなと思ってしまい、仕事を辞めたくなるのでした。

 

仕事を辞めたくなる

 

ふだんは、患者さんや介護をするご家族との信頼関係ができてくることや、地域においての事業所の信頼が得られてくることに、大きなやりがいを感じていました。しかし、娘の体調が悪くなると、とたんに仕事を辞めたくなりました。そういうときに限って、「給料の問題じゃない、責任があるから、辞めるに辞められないのだ」という理由がこころに浮かんでしまい、ますます苦しい気持ちになっていったのです。

第5回 全身麻酔でレーザー治療

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

 
娘の顔の4分の1に赤いアザ

 

私の産後うつの原因となった、もう一つの原因は、娘の右目の周りからおでこにかけて真っ赤なアザがあったことでした。

 

出産して取り出された娘の顔に、紫に近い赤いアザがハッキリと見え、無事に会えた喜びと同時に、「これは何?」という不安が入り混じったものがありました。

私が妊娠中に動き過ぎたから、骨盤の中で顔に当たってしまったから?
とグルグルと考えてしまい、疲れているのに、眠れない状態でした。

 

原因不明の「単純性血管腫」

 

医師からの説明では「原因は不明で、1歳までに消えることもありますが、消えない場合はレーザー治療をする方法もあります。1歳になる頃まで残っていたら、小児科を受診して、大学病院の形成外科宛てに紹介状を書いてもらってください。」とのことでした。

 

顔が大きくなるにつれ、多少薄くはなりましたが、初対面の人から「あら、けがをしちゃったのね」と笑顔で話しかけられ、「いえ、生まれつきのアザなんです」と返すと、「あら、ごめんなさいね」と気を遣わせてしまうこともたびたびありました。

 

大学病院へ

 

女の子の顔にアザがあっては今後気にするだろうから、早い方がいいと考え、1歳になってすぐにレーザー治療を始めることにしました。

目の周りで動くと危険なため、全身麻酔による手術は4~6か月に1回ペースで計6回、4歳まで続きました。

 

大学病院での形成外科の待合室や手術待機室では同じようなアザのある子供たちにたくさん会いました。顔のほとんどが真っ赤なアザのお子さんもいらして、一緒に明るく遊ぶママさんを見て、自分のうつ状態を恥ずかしく思うこともありました。

 

全身麻酔でレーザー治療

 

レーザー治療では、皮膚を焼き、かさぶたが剥がれては薄くなるのを繰り返しました。効果を感じたものの、全身麻酔が切れるときに異常にぐずったり暴れて点滴を抜いてしまうこともあり、4歳のときは「頭が痛い」と言うようになりました。麻酔の害もあるのではと感じるようになり、治療を終了することにしました。

 

その後

 

治療のおかげか、成長によるものかわかりませんが、アザは、ほとんど消えてくれました。ただ、その後も体調の悪いときだけアザが浮き出るようになり、私たちも保育士さんも、アザの濃さで体調を見るようになりました。

今では「健康のバロメーター」となっているとポジティブにとらえています。

第4回 離乳食を食べないまま保育園に入園する

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

 
水分を摂らない、離乳食を食べない。

 

4月入園でないとなかなか入園できないこともあり、生後8か月で保育園に入園することになりました。

入園前に離乳食を食べさせる練習はずっと続けていましたが、ほとんど吐き出し、食べたがりません。白湯やお茶を飲ませようとしても、哺乳瓶をいやがり、ストローやコップでもほとんどこぼすので、水分補給さえできない状態です。

 

入園前に保育士さんに相談しましたが、水分が摂れないと脱水になるため、様子を見ながら離乳食と卒乳をすすめていくことになりました。

 

ただ、もともと寝つきが悪い子で、母乳を吸いながらでないと寝てくれないため、寝かしつけのときのために母乳を残しておきたいという思いもあり、急な卒乳ではなく離乳食をすすめながら徐々に卒乳させることにしました。

 

保育園に入園

 

4月に入園したその日から、水分が摂れないことで保育士さんの手を煩わせることになりました。白湯をスプーン3杯がやっとのことだったようで、2時間の慣らし保育がギリギリの状態でした。

 

3日目の夜には熱が出、あえなく4日目から保育園を休むことになりました。脱水による発熱であることは明らかでした。

今更ではありますが、母乳だけでなく哺乳瓶で飲むくせはつけておくべきだったと後悔しました。

もっと言えば、仕事復帰したこと自体を後悔しました。当時は定年まで働くと決めて復帰したので、仕方のないことではありましたが。

 

発熱を繰り返す

 

その後も毎週のように熱を出しては休み、を繰り返しました。鼻水が詰まって咳が出て、その勢いで吐く、ぐずる、を繰り返しました。

 

そのうち、私自身も疲れ、睡眠不足が続いたこともあり、気管支炎になりました。娘の熱は1日か2日で下がるのに、私の場合は1週間近く下がらず、本当に参りました。

職場復帰しても、子どもの熱で謝ってばかりでしたが、自分自身の熱で1週間も休んだので、いよいよ「当てにならない人」となりました。

 

 

少しだけ離乳食を食べ始める

 

娘は頑なに離乳食を数口食べるだけで拒否し、朝と夕方と夜の母乳だけで生きていましたが、1か月くらいしてから、ようやく「今日は離乳食を半分くらい食べてくれました!」と保育士さんからの報告を聞き、ほっとしたのを覚えています。

それをきっかけに、家でも少しずつ食べてくれるようになりました。保育士さんほどの根気はないので、いらない、と口をつぐんだら、すぐにあきらめてしまいましたが。

 

 

母乳拒否

 

1歳を過ぎたある朝、仕事に行く前に母乳をあげようとすると、おっぱいに手を当てて、飲もうとしないので「え?いらないの?」と聞くと、にやっと笑うのでびっくり。いつもなら朝起きたらすぐにお腹空いたとばかりにぐずって、すぐおっぱいに吸い付くのに、この日は何度あげようとしてもプイと横を向いて手で拒否をします。調子が悪いのかと心配しましたが、熱もなく、元気そう。おっぱいはパンパンで、乳腺炎になりそうなくらい痛い状態で、保育園に送っていきました。

 

初めてのことで私は少しパニック状態になり、助産師の丸山さんに電話をしました。「搾乳はしないで、いつも通りの圧抜きだけしてね」と言われて、少し落ち着きを取り戻しました。

 

圧抜き

圧抜きとは、乳首の根元を親指と人差し指でつまんで少し押してからひねるようにして乳首から母乳が漏れないようにしておくことです。(山西みな子著『もっと自由に母乳育児』p.35)

 

仕事復帰してからずっと、仕事の休み時間に圧抜きをしてしのぎ、夕方に授乳をすると、大量に母乳がたまっているので、お腹がいっぱいになって夕飯は食べないという状態になってしまいました。これがまた、離乳食がすすまない原因にもなっていました。

 

自ら卒乳しようとしたのか、母乳がおいしくなくなったのか、わかりません。何も飲まずに保育園に行きました。体調が悪くなっていないか、迎えに行くまで不安でたまらない1日でした。

 

迎えに行くと、保育士さんが「今日は初めて完食しました!」とのこと。

帰ってから、試しに授乳させようとしましたが、朝と同じくプイっと横を向いてしまい、夕飯も初めて完食しました!

 

おっぱいなしで寝付けない

 

しかし、夜はなかなか寝付けず、ぐずるので授乳しようとすると横を向いて泣きわめきました。だっこをしているうちに母乳が漏れて服がびしょびしょになり、おっぱいが張って痛いのと乳腺炎の恐怖で、「眠いなら飲んで寝ておくれ~」と話しかけていました。仕方なくキャベツ湿布をして熱を取り、抱っこしながら寝ました。

眠りが浅いながらも、朝まで起こされずに眠れたことは驚きでした。

夜中に授乳しなかったけど、あげたら飲むかな?と思い、試しに授乳しようとしましたが、やっぱり、いらないとばかりにプイ。

 

いきなりやってきた卒乳。しかも本人自ら!?

 

丸山さんに報告したら「○○ちゃんらしい」と笑われました。

「そのまま搾乳しないでいたら、自然にしぼんでくるから、2週間くらいしたら卒乳ケアに来て」と言われました。今すぐにでも搾ってもらいたいくらい張ってるのに、2週間も放っておくのかあ、と気が遠くなりました。

 

その翌日からも寝るときはぐずってなかなか寝付けない日が続きました。母乳のありがたみをヒシヒシと感じつつ、眠いときになかなか寝てくれない子をいかに寝かせるか、マッサージをしたり、抱っこをしたりと試行錯誤の日々でした。

 

仕事復帰しても授乳していたときは夜中も3時間毎に授乳のために起きていましたので、常に睡眠不足の状態で仕事をしていました。

ただ、寝るときは沿い乳で授乳しながら私も眠れたので良かったのですが、寝かしつけの術(すべ)もなくなり、こっちは眠いのになかなか寝てくれず、辛かったのを覚えています。

 

マッサージで「寝るよ~」の催眠術

 

試行錯誤の末、お腹のマッサージと足のマッサージをするとだんだん早く寝てくれるようになり、続けていくうちに、これが「寝るよ」のサインとなって、すっと寝てくれるようになりました。

 

のちに私が整体の勉強をするようになってからは、このとき、頭をマッサージして調整してあげれば良かったのだとわかりました。なんにせよ、ボディタッチで安心させるのもよいことだったのではないかと思います。

第3回 腱鞘炎でファミリーサポートを利用する

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

ファミリーサポートセンターに相談する

産後から4か月、なんとかだましだましやってきた腱鞘炎が悪化し、接骨院に通院することになりました。ここからさらに4か月経ったら、仕事に復帰しなければなりません。子どもの発熱などで、保育園で預けられないときに見てもらえる方が必要となります。そこで、ファミリーサポートセンターに相談をしました。
事務局の方とサポートしてくださる方が、我が家まで面接に来てくださいました。優しい声かけで、私の体調を気遣ってくださり、涙が出るほど有り難かったことを覚えています。
有料ではありますが、ほとんどボランティアのような金額で、本当に申し訳ない気持ちになりました。

サポートを依頼する

サポートしてくださる方は、自宅から歩いて15分ほどのところに住んでいらっしゃるご年配のOさんという女性でした。穏やかな話し方で「大丈夫よ」とおっしゃってくださいました。
通院の帰りには、買い物にも寄り、週に1度、1時間半から2時間ほどでしたが、子どもからほんの少し離れて、リフレッシュする時間をとれるようになりました。

体調が戻らない。もしかして産後うつ?

腱鞘炎の方は、包帯で固定している間は不自由ながら痛みはないのですが、お風呂や寝るときに外したあと、親指を開いてしまうと痛みが走る状態が続いていました。
それに加えて、身体中の関節の痛みが出てきました。ストレッチは毎日やっていましたが、慢性的な睡眠不足と筋力低下で関節がギシギシと痛み出しました。
夫が心配して声をかけてくれても、「痛い」としか言えませんでした。
娘は、話しかけたり笑いかけても、めったに笑い返してくれることがなかったので、他の赤ちゃんが笑っているのを見ると悲しい気持ちになりました。
自分が情けなくて仕方なくて、今思えば、これが「産後うつ」だったのだと思います。

整体の師匠のところへ行く

整体の師匠は逗子に住んでいて、秦野からは電車で2時間、車で1時間半くらいかかります。夫は目の問題があり、運転ができません。授乳の時間もあるため、整体を受けたくても行くことができませんでした。
 しかし、身体が限界を迎えていて、腱鞘炎もあり、自分で整体することもできない中、これはもう行くしかない、と意を決し、家族全員でうかがわせていただくことにしました。
 私が整体を受けている間、娘を夫に見てもらい、両手とも腱鞘炎でも自分で治せる方法を教えてもらいました。

ようやく体調を取り戻す

整体で骨盤の歪みを治してもらってからは楽になり、精神的にも元気になってきたので、もっと早く行けばよかったと心底思いました。
腱鞘炎も徐々に良くなり、包帯を外しても前ほど痛みがなくなってきたので、サポーターに切り替えました。

接骨院への通院はやめて、サポートのOさんには、泣くばかりで笑わない娘の様子を見てもらいながら、私の話しを聞いてもらったり、育児を手伝ってもらうことにしました。

一時的ではありましたが、自分が産後うつの状態だったのだと認識し、骨盤を整えて身体を楽にすることで、心にも少しずつ変化が起きるきっかけになるのだと思いました。

あのとき私が、整体やサポートを依頼していなければ、自分が情けない母親だと責め続け、殻に閉じこもった上に、夫も巻き込んで抜け出せない状態になっていたかもしれません。

保育園の見学に行く

娘は7月生まれですが、保育園には4月入園でないと希望のところには入りにくいと聞いたので、4月に仕事復帰することにしました。12月には入園申し込み書類を出さないといけないので、その前に保育園の見学に行きました。保育士さんたちは皆笑顔で、園長先生もじっくりと話を聞いてくださり、ここに早く預けたいと思うようになりました。一時保育についても聞きましたが、「今はいっぱいです」とのことで、残念ながらあきらめました。

育児支援センターに行ってみる

身体が楽になってきたこともあり、仕事復帰する前に徐々にいろんな刺激を与えていこうと思い、支援センターに行ってみました。復帰したら私自身も子育てのコミュニティに参加できなくなると思ったからです。
ところが着いたとたんに娘はぐずり始め、スタッフさんや他のママたちとも話ができない状態になってしまいました。あまりの大泣きに早々に退散しましたが、笑顔の赤ちゃんたちやママさんたちを見て、より一層孤独を感じてしまいました。仕事の都合で引っ越してきたこの土地で、何のつながりもなく、子育てしていくのは寂しいなあ、難しいなあと思いました。

離乳食セミナーに行ってみる

体調はだいぶ回復したので、離乳食セミナーにも参加してみることにしました。同じくらいの月齢の子が集まるので、もしかして他のママとも会話できるかもしれない、と思ったからです。
畳の部屋に娘をごろんと寝かせたとき、娘がとなりの男の子を見て、にこっと笑ったのです。めったに笑わない娘が!これは何かの縁かも、勝手な勘違いでもいいや、と思いつつ、その男の子のママに勇気を振り絞って話しかけてみました。その方も、「仕事の都合で引っ越してきたので誰も知り合いがいなくて」と話されていて意気投合。メアド交換して連絡を取り合うことになりました。

離乳食を食べない

生後5か月を過ぎたので、そろそろ離乳食を始めてみようと思いました。
初めはすぐに吐き出してしまうので、仕方ないかと思っていたら、その後も、手を変え品を変えても、吐き出し続け、結局食べないまま保育園入園に「突入」しました。ミルクも飲まない、完全母乳だけになってしまったまま、離乳食も一切食べない状態で8か月が過ぎ、保育園に入園してから保育士さんに相談することになりました。(つづく)

第12回 食事を見直して痩せる

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

妊娠中の爆食
 
そもそも産後すぐに乳腺炎になってしまったのは、妊娠中の爆食が原因だったのでは、と、母乳ケアをしてくださった助産師さんからのご指摘がありました。
私の食習慣において、妊娠前からほぼお米を食べていませんでした。パンか、パスタか、焼きそばなどの麺類が多く、オリーブオイルをたっぷり使い、カリっとした揚げ物も、チーズも、甘い物も大好きでした。食べる量も普通の女性の倍量以上で早食いでしたし、夏の出産だったので、氷を入れた冷たい飲み物しか飲んでいませんでした。
 
乳腺炎後の食事
 
乳腺炎になって、助産師さんに以下のように食事を改善するように伝えられました。
・まずはすべての食べものを良く噛むように。唾液から消化酵素が出て、赤ちゃんにとっても良い母乳になる。
・乳製品、砂糖、植物性の油は加熱すると酸化しやすく乳腺を詰まらせるので、やめるように。
・飲み物は常温か、温かいものを飲んで、母乳も体も冷やさないこと。
・利尿作用のあるカフェインの入っていない水分をこまめに、1日2L飲むように。
・和食にすること。特に根菜類は体を温めるので、多めに摂取すること。
 
体重が減る
 
洋食中心だった食習慣が、和食に変わっただけでもみるみると体重が減ってきました。暑い時期に常温や温かい飲み物を飲む習慣がなく、慣れるのにしばらくかかりました。飲むように食べていたフワフワのパンをやめたことで、砂糖をとらずにすむようになり、お米をよく噛むことで、お米の美味しさを知りました。
食事と飲み物を変えたことで、体重は1か月で3キロ減りました。
 
甘いものを断つ
 
1か月経って一番大変になってきたのは、砂糖断ちでした。パンを止めたことで甘い物がなくなり、お菓子やデザートを買うことを止めました。これは相当つらく、アルコール依存症の人がお酒を探すように、「どこかに甘いものはないか」と彷徨う「甘い物依存症」だったのだと自覚しました。そこで目をつけたのは「干し芋」でした。これは砂糖ではない、けれど、干し芋の中でも甘いものとそれほど甘くないものがあります。甘い干し芋は、砂糖並みに糖度が高いものもあります。この甘さは止まらなくなり、依存症を引き起こすことを実感しました。そのため、あえて甘くなく、固いものを選んで、よく噛むようにしました。
 
よく噛むことができる食べ物で口さみしさをなくす
 
次に、よく噛むことができるものを探しました。するめや玄米のおにぎり、スティック野菜などをキッチンに置いて、おなかが空いたら家事や授乳をしながら、ひたすら噛んで口さみしさを失くしていくようにしました。
気が付いたら3か月後には8キロ痩せていました。乳腺炎になった痛みと恐怖のトラウマのおかげで、もう二度となりたくないという思いで始めた食事療法でしたが、妊娠前よりすっきりして軽くなったことは思わぬ副産物でした。
 
花粉症が治る
 
花粉症とアレルギー性鼻炎のため、何十年も抗アレルギー剤を飲んできましたが、妊娠中は胎児への影響を考えて飲まなかったので、仕事中も鼻水が垂れて辛かったです。そして産後も母乳への影響を考えて、飲むのをやめていました。が、なぜか辛くない。あれ?体質が変わったのかな、と思っていました。
後々知ったことでしたが、パンや麺類を止めたことで、小麦グルテンによる腸への影響がなくなり、アレルギーを引き起こさなくなっていたのでした。そもそも日本人は小麦グルテン不耐症、乳糖不耐症の人が7~8割いると言われているため、食べ物のアレルギーがなくても、花粉症などのアレルギーを引き起こすということを知りました。
つまり、乳腺炎のための食事療法で乳製品や小麦、植物性の油、砂糖をとらなかったことで、腸内環境が改善し、花粉症も治ったのでした。
ところが、卒乳後、やっと食べられると解放されたかのようにパンや麺類を食べるようになったとたん、花粉症を再発しました。しかし、小麦を止めたら数十年来の花粉症も治るということを実感したのでした。
 
まとめ 健康な食習慣になった結果、痩せる
 
乳腺炎の恐怖から免れるために始めた食事療法でしたが、結果的に無理なく運動もせずに痩せられました。

1) 良く噛む(ひとくち30回以上)。噛むことで唾液が出るものを選んで食べる。
2) 常温か温かい飲み物をこまめに、カフェインの入っているものはカウントしないで、1日2L飲む。食事中に水分をとると消化酵素が薄まるので、食前か、食後1時間以上経ってから飲む。
3) 小麦・乳製品・植物性油・砂糖を控える(減らすときは大変だけれど、減らすより断つことで依存症から抜け出せるので、結果的には心身共に楽になる)
4) 植物性の油や砂糖で減ったカロリーを白米や玄米、肉魚卵豆類などのタンパク質を多めに食べて補う。

特に3)の小麦・乳製品・植物性油・砂糖は4毒と言われるほど、依存性が高いので、アルコールやタバコを止めるより大変と言われています。「食べるものがなくなる~」という声もよく聞きますが、「本来の日本人の体(腸)にとって毒じゃないものを食べよう」という視点で探せば、和食の世界が広がります。

産後のトラブルを通して、健康になるための転換期となり、私にとっては「災い転じて福となす」でした。子どもにとっても、健康的な食事にしていくことで、体つくりと食育ができると思います。

まずは痩せる目的でもいいので、食生活を見直してみませんか?

第11回 股関節痛の悪化で産後が大変になる

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

生涯のテーマとなった股関節痛

 
私の股関節痛の原因は、先天性の「臼蓋形成不全」という障害からくるものでした。本来、骨盤の中で股関節が抜けないように骨でカバーされている部分が、生まれつき欠けていて、股関節が脱臼しやすい形になっています。赤ちゃんの健診のときに股関節が開きにくいことで発見されることもありますが、あまりはっきり見られない場合は、レントゲンを撮って初めて発見されることがあります。
私の場合も30歳頃に、訪問看護で重い人を持ち上げたあとに左股関節が痛くなり、整形外科を受診したところ、念のために撮ったレントゲンで発見されました。
これまでの頭痛や腰痛は、この股関節の歪みが原因で、背骨や顎が歪んで様々な不調を起こしていたことがわかり、腑に落ちた瞬間でした。
股関節が脱臼しないよう自分の骨を切って足す「骨切り術」という手術を勧められましたが、いろいろと調べる中で、手術をしても痛みはなくならないことも多いことを知りました。
それからは重い物を持つときは、左股関節に重心をかけないように気を付けつつ、股関節が外れないように筋肉でカバーする筋トレを毎日続け、休みの日には整体を受け、教えてもらうことになりました。

 

切迫早産で筋力が落ちて悪化する

 
ところが、訪問看護の仕事はとても忙しく、妊娠中でも重い人を抱えることが多々ありました。切迫早産になってもお腹が張っても休めない状況が続いて、とうとう動けないほどお腹が痛くなりました。産休に入ったとたん、寝たきりになり、その2週間後に早産となりました。
お腹の皮とおっぱいだけがで~んと出ているにもかかわらず、手足はやせ細って妊娠前よりも体重が減っていたので、筋肉が落ちるスピードの速さに驚きました。
抱っこをしていても腰がグラグラして、腰も左股関節も痛くなり、腕の力もないので、あっという間に腱鞘炎になりました。睡眠不足が続いて産後うつのような状態になり、軽い体操でさえやれないほど、自分を立て直す気力もなくなっていました。育児を楽しむ余裕もなく、「子どもさえ何とか生きていてくれたらいい」という気持ちで授乳を仕事のようにしていたと思います。

 

股関節痛の悪化

 
半年ほど経ってから、グラグラしていた腰も固まってきて、靴下を履くのも大変なくらい体中がカチコチになって、股関節の痛みが一段とひどくなりました。杖とマジックハンドを購入し、近隣の接骨院や鍼灸院に通いましたが、なかなか良くなりませんでした。
「これはまずい、もう限界だ」と自分の体の悲鳴が聞こえるようになって、ようやく、「我が家からは遠くて行くのはたいへんだけれど、整体の師匠のところに行こう」という気持ちになりました。治療してもらってからは腱鞘炎も股関節痛も良くなりました。それに伴って塞ぎこんでいた気持ちも溶けたように軽くなり、しだいに育児が楽しめるようになりました。
まずは体から整えなくては、心も整えようがなかったのかもしれません。体が整ってきたら心を整えようという気持ちになれて、ようやく体と心が整ってきた感じがします。自分ではどうにもならないときは、まずは誰かに体を整えてもらう、というのは重要だと実感しました。

 

再び股関節痛の悪化

 
産後8か月で保育園の4月入園に合わせて仕事復帰し、少しずつ体を慣らしていきましたが、重労働は避けられませんでした。股関節が痛くなっては整体の師匠のところに駆け込むというのを繰り返していました。
仕事と育児の両立でいっぱいで、自分のケアを怠り、整体の師匠に頼るクセもついてしまっていました。産後うつを脱してからは、アドレナリン全開で走り回っている感じでした。
師匠からは、「こんなに頻繁に悪くなるような体の使い方を治して、悪くなってから駆け込むのではなくて、もっと自分で治せるように考えたらどうか。このままじゃあ、看護師の仕事は続けられなくなるよ」と毎回言われるようになりました。
「おっしゃる通りです」としか言えませんでした。教えていただいたセルフケアを続けようとしても、すぐに崩れてしまう自分にも自己嫌悪でした。
 あるとき、子どもの具合が悪くなって抱っこが増え、とうとうまた股関節がひどく痛み、歩けなくなるほどになりました。「子どもの具合が悪いのに、どうしよう」と焦りました。これまで習った方法を思い出しながらやってはダメ、これもダメ、と一晩中試して、明け方にようやく自分なりの方法がみつかりました。
 その後も何度か繰り返し、危機を脱してきましたが、子どもの熱がなかなか下がらず、病院の行き来と抱っこが増えて、どうやっても改善しないほど股関節の痛みがひどくなりました。
 とうとう長年勤めた管理職の仕事を辞める決意をし、パートで働きながら整体で開業をするための勉強を始めることにしました。師匠に治療してもらい、決意を伝えたところ、これからはプロとしてしっかり勉強しなさいと応援してもらえました。

また、娘が4歳の頃、頭痛を頻繁に訴えるようになり、検査をしても原因不明だったこともあり、整体で何とかしたいという思いを強くなっていました。
このことが転機になり、看護師を辞め、整体師として転職する決意もつきました。

 

産後の股関節のゆがみは女性の一生の問題を引き起こす

 
産後の自分を振り返ってみると、グラグラだった腰と股関節を産後の早い時期に整えておけば、ここまでひどくなることはなかったと後悔します。自分だけでなくもっと多くの女性の産後の体をなるべく早く整えられるようになりたいという思いが強くなりました。
また、産後の方の整体を専門にするようになってからは、実際には私のような臼蓋形成不全ではなくても、股関節がゆがんている方が多く、産後のユルユルの時期に治せばかなり良くなることもわかってきました。
そして産後の早い時期に治して仕事復帰してからも通ってくださる方は、更年期になっても、大きな不調なく働いていらっしゃいます。その方の「仕事で疲れた~」というお話をうかがいながらも、整体師になって良かったと思え、励まされています。

 

天職に転職

 
私自身の股関節の問題は整体師になっても続きましたが、そのたびにセルフケアがバージョンアップし、だんだん解決できるようになってきました。自分に困難な課題がやってきた、と思うと、様々な整体セミナーを受講し、勉強し続ける意欲がもらえます。
自分の障害を、不幸と思わず、愛でてあげようと思える、そんな体と、励ましをもらっている方々に感謝しています。

第10回 娘の頭の歪みと背骨の矯正を勉強して整体師を目指す

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

原因不明の頭痛を何とかしたい

 

娘が4歳のとき、朝から「頭が痛い」と言い、保育園を休む?と聞くと、「行きたいから行く」と言うので、心配しながら仕事に行っていました。保育園から帰ってくると、「ずっと頭が痛かった。でも楽しかった」という毎日で、心配で不安でたまらない日々が続きました。
大学病院で様々な検査をしても異常はなく、立ち上がると血圧が下がるので、「起立性調節障害」という診断名で薬をもらいました。その後も変化はなく、検査ではわからない何かがあるのではないか、他に手立てはないのか、そんな思いをずっと抱きながら仕事に行くのが辛かったのを覚えています。私に気を遣って、痛くても保育園に行きたいと言っているのではないかと思ったこともありました。

 

整体の師匠にみてもらう

 

子どもに整体はできるのか、じっとできるのかという不安がありましたが、師匠に相談して、看てもらうことになりました。
案の定、じっとしていることはできず、ほんのわずかな時間ではありましたが、背骨も頭も歪んでいるとのことで、そのせいで自律神経が乱れて頭痛が起きるのだろうということでした。歪んだ原因は、産道を通ったときの影響、あるいは赤ちゃんのときの向き癖などいろいろあるが、この年齢にしては歪み方がひどいので、生まれつきだろうとのことでした。生まれつきの場合は、治しても成長するたびに脳がもとに戻そうとして曲がっていくので、2~3か月に1度は背骨の矯正が必要になるとのことでした。
本人は、施術の後は楽になったというものの、翌日に好転反応のようなひどい頭痛が来て、その翌日からは良くなるのですが、それでも通うと言いました。親としては将来のことを考えたら諦めたくはないので、2~3か月に1度、成長が止まるまで通うと決めました。そして、ビデオを撮らせてもらい、私自身も家でできる方法を習得し、日替わりで頭や背骨、足などのケアをしていきました。師匠の施術は複雑で、感覚でしかわからないような難解な説明をされるので、私なりに理解したことを言語化すると、「違う」としか言われませんでした。そのため、なかなか原理がわからないまま、形だけをマネするという状況が続きました。

 

看護師を辞めて整体師に転職する

 

娘の頭痛症状には行きつ戻りつという状況が続きましたが、効果が出た時の娘の晴れやかな表情を見ると、私も整体師としてこのような子どもたちの役に立てたらという思いになりました。
20年続けてきた看護師を辞めるというのは重い決断ではありましたが、もっと勉強して、私自身でも娘を治していきたいという思いがありました。
休みの日だけ通っていた整体の勉強でしたが、看護師の仕事を退職して、整体の勉強をし、それから開業することにしました。

 

整体師として開業する

 

最初は看護師のパートと整体の仕事を副業として、自宅で開業しました。
産後のトラブルが多かった私は、私のような辛い思いをしてほしくないという思いで、「産後整体」という形で、産後の方を紹介してもらいました。赤ちゃんと一緒に、ときには知り合いの元保育士さんに赤ちゃんをみてもらったりして、じっくりやらせてもらいました。
小学生になった娘は、学校から帰ってきたら時々赤ちゃんの声が聞こえたり見かけたりするのを楽しみにするようになりました。

 

頭蓋骨専門の整体院に通う

 

娘の頭痛は少しずつ落ち着いてきていたのですが、中学生になると、通学でリュックが重くなったことと、勉強量が急に増え、これにスマホを見ることが重なり、首肩こりから再び頭痛がひどくなりました。気圧や睡眠不足による片頭痛も増えました。
師匠のところにはあまり行きたがらなくなってしまったこともあり、都心に買い物や見物がてら、頭蓋骨を専門にした整体院に通うことを誘ってみたら、行ってみると言いました。
ですが、さすが都心(!!)、10回で25万円でした。見させてもらうことで私の勉強にもなると思い、通い続けているうちに、娘の頭痛はかなり改善してきました。
師匠のやり方とミックスすることで、より効果が上がることがわかってきました。
娘の頭痛にはお互い悩まされましたが、試行錯誤を繰り返しながらお客様へも技を提供することにつながり、良い機会を与えてもらえて、娘にも感謝です。

 

赤ちゃんの頭の歪みはなるべく早く治した方がいい

 

赤ちゃんのときであれば、頭蓋骨はまだしっかりつながっていなくて柔らかいので、数週間で治る歪みも、成長してからだと時間もお金もかかってしまうことから、頭の歪みは早めにケアした方が良いと実感しました。

第9回 4歳、原因不明の頭痛が始まる

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

頭痛を訴える

 

4歳を過ぎてから、「頭が痛い」と言い出すようになりました。私自身、子どもの頃から頭痛がひどく、当時はCTもなく脳波だけでは原因がわからず辛かったのを思い出し、娘を検査に連れていくことにしました。

まずはCT撮影をしましたが、副鼻腔炎かな、腫瘍はない、と言われました。耳鼻科に通い、しばらく副鼻腔炎の抗生物質等を飲ませましたが、頭痛は改善しませんでした。

のちのち大学病院でMRI検査や脳波検査をしましたが、それも異常なく、結局は、「起立性調節障害」という診断名で、薬も処方されましたが、数か月経っても改善はしませんでした。

こんなに小さいうちから整体ってどうなのかなと思いつつ、私の通っていた整体の先生のところに連れていきました。みてもらったところ、頭のゆがみから頸椎~背骨が側弯症になりかけているとのことでした。治療してもらうと、すっきりした、と言い、元気になりました。

ただ、数週間でまた頭痛が出て、みてもらうと側弯してきているとのこと。骨が成長しながら曲がっていってしまうので、なんとか側弯症にならないようにと毎月通うことにしました。

後からわかったことなのですが、頭がゆがんでいると頸椎から背骨まで曲がっていってしまうのです。そのため、赤ちゃんの頃から向き癖をなるべく早く直していくことがとても大切なのでした。

 

向き癖からくる頭のゆがみ

 

赤ちゃんは頭を回転させながら産道を通って出てきますが、私のように固い骨盤を出てくるのは容易ではなく、柔らかい頭を変形させてようやく出てきます。歪んでいた場合、そのまま放っておくと向きやすい方向ばかりを向くようになり、頭の重みでへこんでしまうため、さらに向き癖が強化され、頸椎も背骨もそれに従って歪んでいってしまいます。

娘の場合は、頭が歪んでいたことで自律神経も調節しづらく、興奮状態が続いてしまったことで、なかなか泣き止ませんでした。抱っこが多かった上、抱っこの仕方も悪かったと思います。

これについても、後から知ったことでしたが、今では常識になっている「まんまる抱っこ」、お腹の中にいるように丸めてあげる抱っこで、スリングを使ってあげていればよかったのです。

 

生まれてすぐの頭のケアは本当に大切ということを、娘の頭痛を通して身に染みてわかりました。

 

その後もたくさんのトラブルはありましたが、今では、娘本人が自分でケアできる処方箋を持ち、自分で痛みに対処できるようになってなんとか過ごせているのが何よりだと思っています。

第8回 2歳半、この子、発達障害かも?

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

保育園から帰宅直後に泣き叫ぶ現象が始まる

娘の場合は自ら卒乳した経歴があるだけに、意志が固く、頑固なところがあるので、赤ちゃんの頃から「嫌なものはイヤ!」という意思表示が強い子でした。

ところが、保育園では聞き分けの良い「とても良い子」と言われていました。給食をいつも「おいしい」と言っておかわりし、転んでも他の子に叩かれてもぐっと我慢して泣かず、「強いね」と保育士さんに褒められていました。

2歳過ぎた頃から、保育園から帰宅して玄関の扉を閉めるなり、玄関でひっくり返ってギャーギャー大声で泣き始めるという現象が始まりました。いくらなだめても抱っこしても、ふんぞり返って抱っこから落っこちそうになるので下ろすと、そこから1時間は大声で泣き続けます。

何があったのかわからず、翌日に保育士さんに聞いても、原因がみつかりません。

まるで虐待をしているかのように大声で泣き続けるので、通報されないか心配になるくらいでした。

2歳半健診で相談する

病院に相談しようか迷っていたところ、ちょうど2歳半健診があったので、相談を申し込みました。心理療法士さんに状況を説明し、発達障害があるのではないかと相談しました。

しばらくおもちゃ遊びをしている様子を見ますと言われ、その後、娘と会話をしていました。いたって普通に受け答えをする娘を見て、その方は「発達障害はないようです」とおっしゃいました。

「ただ、受け答えがスムーズであっても、理解ができているとは限りません。大人が分かっているでしょという態度で話すと、実際には理解しきれずに感情がうまくコントロールできなくて混乱を起こすということがあります。2歳半の頃はまだ感情がうまくコントロールできない時期です。わかっている様に見えても、ていねいに一つ一つ理解しているかどうか確かめながらお話ししてあげてください」と言われました。

1歳前に単語を話し始め、2歳には話が通じるようになったので、わかっていると思い込んでしまっていたのかもしれません。「言葉」と「感情」がまだうまく結びついていないまま混乱し、かんしゃくを起こしていたのかもしれません。

アドバイスをいただいてからは、なるべく文章を短く、ゆっくり話しをして、どうしたいか聞くように気を付けていきました。

表と裏の顔

保育園から家に帰ってきたとたん、ひっくり返ってのグズリは3歳になる少し前まで続きました。「魔の2歳」と言われるように、2歳半がピークでした。

「もう良い子を演じるのは疲れた!」と言っていたのかもしれません。

娘が成長して分かったことですが、家族以外の人たちにはすごく気を遣い、「外面が良い」ところがあるようです。家が本音を出せる場所であるならば、それもまた良いのではと思うようになりました。

第7回 1歳半過ぎてもなかなか歩けない

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

 
1歳半を過ぎても歩けない
 
娘は1歳半を過ぎてもハイハイのままでした。
検診では特に問題なしと言われていましたが、ハイハイからなかなか立てず、同じ月齢の子たちが次々と歩き始めていたのに、娘はお座りしたまま遊んでいました。他の子と比べてしまうと焦りと不安が生じます。この子はのんびり成長するタイプなんだと思おうとしつつ、さすがに1歳半を過ぎてもまだ歩けないのは、私と同じ「臼蓋(きゅうがい)形成不全」(股関節の骨盤側のかぶりが悪い発育不全)があるのではないかと思い始めました。
 
遺伝?
 
私の場合は左の股関節を覆う骨盤が先天的に欠けているため、股間節が外に出てしまい、重いものを持ったり、自転車に長く乗って負荷をかけると痛みが出ます。遺伝したら困るなあという不安がありました。
もし「臼蓋形成不全」だったら、装具を付けたり、手術をする必要がある場合もあるからです。
 
私の場合は赤ちゃんのときに発見されなかったため、股関節が外に出たまま成長し、あぐらをすることができませんし、骨盤や背骨がだんだん曲がってしまい、子どもの頃は頭痛に悩まされていました。
当時は頭痛がひどかったので頭の検査をしても原因不明としか言われませんでしたが、大人になって股関節の痛みが出てレントゲンを撮って初めて「臼蓋形成不全」が分かり、子どもの頃からの不調の原因だったということが分かったのでした。
 
股関節の軽い不具合ですと発見されにくいこと多いようですが、程度の差はあるものの、女性の場合は10人に一人くらいの割合で股関節の不具合があると言われています。
 
足をひきずる
 
娘がようやく数歩歩きはじめたと思ったら、私の手につかまって、足をひきずるように歩く状態がしばらく続いたため、あまり喜べませんでした。整形外科では「臼蓋形成不全」ではないとは言われましたが、その後も様々な不調が出ました。
 
歩けないから転がる
 
歩けない分、高速ハイハイと転がることが得意でした。ヨチヨチ歩きよりは早いくらい、ハイハイが速いのです。時には横たわって足でグルグルと回ったり、転がったままおもちゃで遊ぶクセまでついてしまいました。
 
2歳近くになって安定して歩けるようになりましたが、ハイハイ歴が長かったためか、肋骨が分厚く、体格の良い女子になりました。

第6回 発熱でファミリーサポートさんにお願いする

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

 

保育園入園直後から発熱を繰り返す

 

8か月で入園した娘は、4月から6月までの間、2週間毎に熱を出しました。入園前まで鼻水を見たことがなかったのに、入園したとたん、鼻水を見ない日はないほど、常に垂れている状態になりました。

 

復帰したばかりの職場は、最初の頃は「無理せず休んでください」と言ってもらえて休めましたが、だんだん忙しくなってくると、「また?」という雰囲気が伝わってきます。

夏頃にようやく熱を出さなくなり、鼻水も見かけなくなりました。

 

ただ、少し涼しくなってきた秋からはまた熱と鼻水が復活しました。同じ年頃のお子さんを抱えるパートのママさんナースが何人かいて、保育園で風邪が流行り始めると、パートさんに優先して休んでもらうため、正規職員の私はどうしても休めない状況になりました。

時短勤務もできないほど忙しくなり、残業も増えてきました。

 

ファミリーサポートさんにお願いする

 

ある日、保育園から熱があると連絡があり、急いで仕事を終えて迎えに行き、病院に連れていったところ、風邪でしょうとのことでした。

職場でも、熱が出ているお子さんのために休みをとるナースがいて、私は休める状況ではありませんでした。

 

入園前からお願いしていたファミサポさんに連絡したところ、明日はどうしても外せない用事があると告げられました。

ファミリーサポートの事務局に電話をし、明朝に面接をして、そのままサポートに入れる方を探してもらえることになりました。

翌日は初めての方にいらしていただき、サポートをお願いすることができました。ただ、その翌日は都合が悪いとのことで、また別の方にお願いすることになりました。

 

最強のグズリ

 

娘の熱は少しずつ下がってきたのですが、まだ保育園に行ける状態ではありませんでした。鼻づまりがひどく、何度も鼻にチューブを入れて鼻水を吸っても鼻が詰まって熟睡できず、グズリが続きました。何度も起こされ、頭がぼーっとする中、朝から初めて会うサポートさんと面接をして出勤しました。

 

ちょうどお昼休み中に、ファミサポさんから携帯電話に連絡がありました。「ひどく暴れて抱っこできずに下ろしたら、背中を反ったまま壁の方まで行っちゃって、頭をぶつけそうになるほど暴れるんです!熱けいれんかもしれないので、救急車を呼んだ方がいいですか?」とのこと。

ドキっとしましたが、もしや、とも思ったので、「すぐに帰りますので、待っててください」と伝えました。

帰宅して状況を見たら、やはり、いつものグズリでした。「体調が悪かったり眠かったりするとグズリがひどくて背中を反って暴れるんです。お子さんたちはそういうことなかったですか?」とファミサポさんに聞くと、「3人ともそういうことがなかったんですよね~」と言われました。心の中で、「やっぱりうちの子はグズリに関しては最強だ!」と思いました。

 

赤ちゃんのときから、眠いとグズリがひどくて背中を反って暴れるために腱鞘炎になってしまったくらいでしたから。そしてこの惨状を見てもらえたことが逆に嬉しく思えました。ただ、残念なことに、このファミサポさんには二度と引き受けてもらえなくなりました。怖い思いをさせてしまい申し訳なかったと思います。でもうちの子は最強クラスですから、こういう子はなかなかいないと思いますよ~と言いたいところです。

 

ファミサポさんリレーで応援を受ける

 

その後もたびたび熱を出しては毎日別のファミサポさんにお願いするということがあり、本当にお世話になりました。そのたびに、「大丈夫ですよ、お仕事がんばってください」と励ましていただき、涙が出るほど嬉しかったです。

 

そして、ファミサポさんの都合がつかず、どうにもならなくなったとき、最後の「砦」として愛知の実家の母に来てもらうこともありました。

ただ、母は必ず「もう無理をしないで、パートの仕事にしたらどうなの?」と言うので、心身ともに疲れているときには本当にそうだなと思ってしまい、仕事を辞めたくなるのでした。

 

仕事を辞めたくなる

 

ふだんは、患者さんや介護をするご家族との信頼関係ができてくることや、地域においての事業所の信頼が得られてくることに、大きなやりがいを感じていました。しかし、娘の体調が悪くなると、とたんに仕事を辞めたくなりました。そういうときに限って、「給料の問題じゃない、責任があるから、辞めるに辞められないのだ」という理由がこころに浮かんでしまい、ますます苦しい気持ちになっていったのです。

第5回 全身麻酔でレーザー治療

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

 
娘の顔の4分の1に赤いアザ

 

私の産後うつの原因となった、もう一つの原因は、娘の右目の周りからおでこにかけて真っ赤なアザがあったことでした。

 

出産して取り出された娘の顔に、紫に近い赤いアザがハッキリと見え、無事に会えた喜びと同時に、「これは何?」という不安が入り混じったものがありました。

私が妊娠中に動き過ぎたから、骨盤の中で顔に当たってしまったから?
とグルグルと考えてしまい、疲れているのに、眠れない状態でした。

 

原因不明の「単純性血管腫」

 

医師からの説明では「原因は不明で、1歳までに消えることもありますが、消えない場合はレーザー治療をする方法もあります。1歳になる頃まで残っていたら、小児科を受診して、大学病院の形成外科宛てに紹介状を書いてもらってください。」とのことでした。

 

顔が大きくなるにつれ、多少薄くはなりましたが、初対面の人から「あら、けがをしちゃったのね」と笑顔で話しかけられ、「いえ、生まれつきのアザなんです」と返すと、「あら、ごめんなさいね」と気を遣わせてしまうこともたびたびありました。

 

大学病院へ

 

女の子の顔にアザがあっては今後気にするだろうから、早い方がいいと考え、1歳になってすぐにレーザー治療を始めることにしました。

目の周りで動くと危険なため、全身麻酔による手術は4~6か月に1回ペースで計6回、4歳まで続きました。

 

大学病院での形成外科の待合室や手術待機室では同じようなアザのある子供たちにたくさん会いました。顔のほとんどが真っ赤なアザのお子さんもいらして、一緒に明るく遊ぶママさんを見て、自分のうつ状態を恥ずかしく思うこともありました。

 

全身麻酔でレーザー治療

 

レーザー治療では、皮膚を焼き、かさぶたが剥がれては薄くなるのを繰り返しました。効果を感じたものの、全身麻酔が切れるときに異常にぐずったり暴れて点滴を抜いてしまうこともあり、4歳のときは「頭が痛い」と言うようになりました。麻酔の害もあるのではと感じるようになり、治療を終了することにしました。

 

その後

 

治療のおかげか、成長によるものかわかりませんが、アザは、ほとんど消えてくれました。ただ、その後も体調の悪いときだけアザが浮き出るようになり、私たちも保育士さんも、アザの濃さで体調を見るようになりました。

今では「健康のバロメーター」となっているとポジティブにとらえています。

第4回 離乳食を食べないまま保育園に入園する

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

 
水分を摂らない、離乳食を食べない。

 

4月入園でないとなかなか入園できないこともあり、生後8か月で保育園に入園することになりました。

入園前に離乳食を食べさせる練習はずっと続けていましたが、ほとんど吐き出し、食べたがりません。白湯やお茶を飲ませようとしても、哺乳瓶をいやがり、ストローやコップでもほとんどこぼすので、水分補給さえできない状態です。

 

入園前に保育士さんに相談しましたが、水分が摂れないと脱水になるため、様子を見ながら離乳食と卒乳をすすめていくことになりました。

 

ただ、もともと寝つきが悪い子で、母乳を吸いながらでないと寝てくれないため、寝かしつけのときのために母乳を残しておきたいという思いもあり、急な卒乳ではなく離乳食をすすめながら徐々に卒乳させることにしました。

 

保育園に入園

 

4月に入園したその日から、水分が摂れないことで保育士さんの手を煩わせることになりました。白湯をスプーン3杯がやっとのことだったようで、2時間の慣らし保育がギリギリの状態でした。

 

3日目の夜には熱が出、あえなく4日目から保育園を休むことになりました。脱水による発熱であることは明らかでした。

今更ではありますが、母乳だけでなく哺乳瓶で飲むくせはつけておくべきだったと後悔しました。

もっと言えば、仕事復帰したこと自体を後悔しました。当時は定年まで働くと決めて復帰したので、仕方のないことではありましたが。

 

発熱を繰り返す

 

その後も毎週のように熱を出しては休み、を繰り返しました。鼻水が詰まって咳が出て、その勢いで吐く、ぐずる、を繰り返しました。

 

そのうち、私自身も疲れ、睡眠不足が続いたこともあり、気管支炎になりました。娘の熱は1日か2日で下がるのに、私の場合は1週間近く下がらず、本当に参りました。

職場復帰しても、子どもの熱で謝ってばかりでしたが、自分自身の熱で1週間も休んだので、いよいよ「当てにならない人」となりました。

 

 

少しだけ離乳食を食べ始める

 

娘は頑なに離乳食を数口食べるだけで拒否し、朝と夕方と夜の母乳だけで生きていましたが、1か月くらいしてから、ようやく「今日は離乳食を半分くらい食べてくれました!」と保育士さんからの報告を聞き、ほっとしたのを覚えています。

それをきっかけに、家でも少しずつ食べてくれるようになりました。保育士さんほどの根気はないので、いらない、と口をつぐんだら、すぐにあきらめてしまいましたが。

 

 

母乳拒否

 

1歳を過ぎたある朝、仕事に行く前に母乳をあげようとすると、おっぱいに手を当てて、飲もうとしないので「え?いらないの?」と聞くと、にやっと笑うのでびっくり。いつもなら朝起きたらすぐにお腹空いたとばかりにぐずって、すぐおっぱいに吸い付くのに、この日は何度あげようとしてもプイと横を向いて手で拒否をします。調子が悪いのかと心配しましたが、熱もなく、元気そう。おっぱいはパンパンで、乳腺炎になりそうなくらい痛い状態で、保育園に送っていきました。

 

初めてのことで私は少しパニック状態になり、助産師の丸山さんに電話をしました。「搾乳はしないで、いつも通りの圧抜きだけしてね」と言われて、少し落ち着きを取り戻しました。

 

圧抜き

圧抜きとは、乳首の根元を親指と人差し指でつまんで少し押してからひねるようにして乳首から母乳が漏れないようにしておくことです。(山西みな子著『もっと自由に母乳育児』p.35)

 

仕事復帰してからずっと、仕事の休み時間に圧抜きをしてしのぎ、夕方に授乳をすると、大量に母乳がたまっているので、お腹がいっぱいになって夕飯は食べないという状態になってしまいました。これがまた、離乳食がすすまない原因にもなっていました。

 

自ら卒乳しようとしたのか、母乳がおいしくなくなったのか、わかりません。何も飲まずに保育園に行きました。体調が悪くなっていないか、迎えに行くまで不安でたまらない1日でした。

 

迎えに行くと、保育士さんが「今日は初めて完食しました!」とのこと。

帰ってから、試しに授乳させようとしましたが、朝と同じくプイっと横を向いてしまい、夕飯も初めて完食しました!

 

おっぱいなしで寝付けない

 

しかし、夜はなかなか寝付けず、ぐずるので授乳しようとすると横を向いて泣きわめきました。だっこをしているうちに母乳が漏れて服がびしょびしょになり、おっぱいが張って痛いのと乳腺炎の恐怖で、「眠いなら飲んで寝ておくれ~」と話しかけていました。仕方なくキャベツ湿布をして熱を取り、抱っこしながら寝ました。

眠りが浅いながらも、朝まで起こされずに眠れたことは驚きでした。

夜中に授乳しなかったけど、あげたら飲むかな?と思い、試しに授乳しようとしましたが、やっぱり、いらないとばかりにプイ。

 

いきなりやってきた卒乳。しかも本人自ら!?

 

丸山さんに報告したら「○○ちゃんらしい」と笑われました。

「そのまま搾乳しないでいたら、自然にしぼんでくるから、2週間くらいしたら卒乳ケアに来て」と言われました。今すぐにでも搾ってもらいたいくらい張ってるのに、2週間も放っておくのかあ、と気が遠くなりました。

 

その翌日からも寝るときはぐずってなかなか寝付けない日が続きました。母乳のありがたみをヒシヒシと感じつつ、眠いときになかなか寝てくれない子をいかに寝かせるか、マッサージをしたり、抱っこをしたりと試行錯誤の日々でした。

 

仕事復帰しても授乳していたときは夜中も3時間毎に授乳のために起きていましたので、常に睡眠不足の状態で仕事をしていました。

ただ、寝るときは沿い乳で授乳しながら私も眠れたので良かったのですが、寝かしつけの術(すべ)もなくなり、こっちは眠いのになかなか寝てくれず、辛かったのを覚えています。

 

マッサージで「寝るよ~」の催眠術

 

試行錯誤の末、お腹のマッサージと足のマッサージをするとだんだん早く寝てくれるようになり、続けていくうちに、これが「寝るよ」のサインとなって、すっと寝てくれるようになりました。

 

のちに私が整体の勉強をするようになってからは、このとき、頭をマッサージして調整してあげれば良かったのだとわかりました。なんにせよ、ボディタッチで安心させるのもよいことだったのではないかと思います。

第3回 腱鞘炎でファミリーサポートを利用する

私の産後トラブル記

私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。

ファミリーサポートセンターに相談する

産後から4か月、なんとかだましだましやってきた腱鞘炎が悪化し、接骨院に通院することになりました。ここからさらに4か月経ったら、仕事に復帰しなければなりません。子どもの発熱などで、保育園で預けられないときに見てもらえる方が必要となります。そこで、ファミリーサポートセンターに相談をしました。
事務局の方とサポートしてくださる方が、我が家まで面接に来てくださいました。優しい声かけで、私の体調を気遣ってくださり、涙が出るほど有り難かったことを覚えています。
有料ではありますが、ほとんどボランティアのような金額で、本当に申し訳ない気持ちになりました。

サポートを依頼する

サポートしてくださる方は、自宅から歩いて15分ほどのところに住んでいらっしゃるご年配のOさんという女性でした。穏やかな話し方で「大丈夫よ」とおっしゃってくださいました。
通院の帰りには、買い物にも寄り、週に1度、1時間半から2時間ほどでしたが、子どもからほんの少し離れて、リフレッシュする時間をとれるようになりました。

体調が戻らない。もしかして産後うつ?

腱鞘炎の方は、包帯で固定している間は不自由ながら痛みはないのですが、お風呂や寝るときに外したあと、親指を開いてしまうと痛みが走る状態が続いていました。
それに加えて、身体中の関節の痛みが出てきました。ストレッチは毎日やっていましたが、慢性的な睡眠不足と筋力低下で関節がギシギシと痛み出しました。
夫が心配して声をかけてくれても、「痛い」としか言えませんでした。
娘は、話しかけたり笑いかけても、めったに笑い返してくれることがなかったので、他の赤ちゃんが笑っているのを見ると悲しい気持ちになりました。
自分が情けなくて仕方なくて、今思えば、これが「産後うつ」だったのだと思います。

整体の師匠のところへ行く

整体の師匠は逗子に住んでいて、秦野からは電車で2時間、車で1時間半くらいかかります。夫は目の問題があり、運転ができません。授乳の時間もあるため、整体を受けたくても行くことができませんでした。
 しかし、身体が限界を迎えていて、腱鞘炎もあり、自分で整体することもできない中、これはもう行くしかない、と意を決し、家族全員でうかがわせていただくことにしました。
 私が整体を受けている間、娘を夫に見てもらい、両手とも腱鞘炎でも自分で治せる方法を教えてもらいました。

ようやく体調を取り戻す

整体で骨盤の歪みを治してもらってからは楽になり、精神的にも元気になってきたので、もっと早く行けばよかったと心底思いました。
腱鞘炎も徐々に良くなり、包帯を外しても前ほど痛みがなくなってきたので、サポーターに切り替えました。

接骨院への通院はやめて、サポートのOさんには、泣くばかりで笑わない娘の様子を見てもらいながら、私の話しを聞いてもらったり、育児を手伝ってもらうことにしました。

一時的ではありましたが、自分が産後うつの状態だったのだと認識し、骨盤を整えて身体を楽にすることで、心にも少しずつ変化が起きるきっかけになるのだと思いました。

あのとき私が、整体やサポートを依頼していなければ、自分が情けない母親だと責め続け、殻に閉じこもった上に、夫も巻き込んで抜け出せない状態になっていたかもしれません。

保育園の見学に行く

娘は7月生まれですが、保育園には4月入園でないと希望のところには入りにくいと聞いたので、4月に仕事復帰することにしました。12月には入園申し込み書類を出さないといけないので、その前に保育園の見学に行きました。保育士さんたちは皆笑顔で、園長先生もじっくりと話を聞いてくださり、ここに早く預けたいと思うようになりました。一時保育についても聞きましたが、「今はいっぱいです」とのことで、残念ながらあきらめました。

育児支援センターに行ってみる

身体が楽になってきたこともあり、仕事復帰する前に徐々にいろんな刺激を与えていこうと思い、支援センターに行ってみました。復帰したら私自身も子育てのコミュニティに参加できなくなると思ったからです。
ところが着いたとたんに娘はぐずり始め、スタッフさんや他のママたちとも話ができない状態になってしまいました。あまりの大泣きに早々に退散しましたが、笑顔の赤ちゃんたちやママさんたちを見て、より一層孤独を感じてしまいました。仕事の都合で引っ越してきたこの土地で、何のつながりもなく、子育てしていくのは寂しいなあ、難しいなあと思いました。

離乳食セミナーに行ってみる

体調はだいぶ回復したので、離乳食セミナーにも参加してみることにしました。同じくらいの月齢の子が集まるので、もしかして他のママとも会話できるかもしれない、と思ったからです。
畳の部屋に娘をごろんと寝かせたとき、娘がとなりの男の子を見て、にこっと笑ったのです。めったに笑わない娘が!これは何かの縁かも、勝手な勘違いでもいいや、と思いつつ、その男の子のママに勇気を振り絞って話しかけてみました。その方も、「仕事の都合で引っ越してきたので誰も知り合いがいなくて」と話されていて意気投合。メアド交換して連絡を取り合うことになりました。

離乳食を食べない

生後5か月を過ぎたので、そろそろ離乳食を始めてみようと思いました。
初めはすぐに吐き出してしまうので、仕方ないかと思っていたら、その後も、手を変え品を変えても、吐き出し続け、結局食べないまま保育園入園に「突入」しました。ミルクも飲まない、完全母乳だけになってしまったまま、離乳食も一切食べない状態で8か月が過ぎ、保育園に入園してから保育士さんに相談することになりました。(つづく)