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2021/06/22
私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。 こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。
産後から4か月、なんとかだましだましやってきた腱鞘炎が悪化し、接骨院に通院することになりました。ここからさらに4か月経ったら、仕事に復帰しなければなりません。子どもの発熱などで、保育園で預けられないときに見てもらえる方が必要となります。そこで、ファミリーサポートセンターに相談をしました。 事務局の方とサポートしてくださる方が、我が家まで面接に来てくださいました。優しい声かけで、私の体調を気遣ってくださり、涙が出るほど有り難かったことを覚えています。 有料ではありますが、ほとんどボランティアのような金額で、本当に申し訳ない気持ちになりました。
サポートしてくださる方は、自宅から歩いて15分ほどのところに住んでいらっしゃるご年配のOさんという女性でした。穏やかな話し方で「大丈夫よ」とおっしゃってくださいました。 通院の帰りには、買い物にも寄り、週に1度、1時間半から2時間ほどでしたが、子どもからほんの少し離れて、リフレッシュする時間をとれるようになりました。
腱鞘炎の方は、包帯で固定している間は不自由ながら痛みはないのですが、お風呂や寝るときに外したあと、親指を開いてしまうと痛みが走る状態が続いていました。 それに加えて、身体中の関節の痛みが出てきました。ストレッチは毎日やっていましたが、慢性的な睡眠不足と筋力低下で関節がギシギシと痛み出しました。 夫が心配して声をかけてくれても、「痛い」としか言えませんでした。 娘は、話しかけたり笑いかけても、めったに笑い返してくれることがなかったので、他の赤ちゃんが笑っているのを見ると悲しい気持ちになりました。 自分が情けなくて仕方なくて、今思えば、これが「産後うつ」だったのだと思います。
整体の師匠は逗子に住んでいて、秦野からは電車で2時間、車で1時間半くらいかかります。夫は目の問題があり、運転ができません。授乳の時間もあるため、整体を受けたくても行くことができませんでした。 しかし、身体が限界を迎えていて、腱鞘炎もあり、自分で整体することもできない中、これはもう行くしかない、と意を決し、家族全員でうかがわせていただくことにしました。 私が整体を受けている間、娘を夫に見てもらい、両手とも腱鞘炎でも自分で治せる方法を教えてもらいました。
整体で骨盤の歪みを治してもらってからは楽になり、精神的にも元気になってきたので、もっと早く行けばよかったと心底思いました。 腱鞘炎も徐々に良くなり、包帯を外しても前ほど痛みがなくなってきたので、サポーターに切り替えました。
接骨院への通院はやめて、サポートのOさんには、泣くばかりで笑わない娘の様子を見てもらいながら、私の話しを聞いてもらったり、育児を手伝ってもらうことにしました。
一時的ではありましたが、自分が産後うつの状態だったのだと認識し、骨盤を整えて身体を楽にすることで、心にも少しずつ変化が起きるきっかけになるのだと思いました。
あのとき私が、整体やサポートを依頼していなければ、自分が情けない母親だと責め続け、殻に閉じこもった上に、夫も巻き込んで抜け出せない状態になっていたかもしれません。
娘は7月生まれですが、保育園には4月入園でないと希望のところには入りにくいと聞いたので、4月に仕事復帰することにしました。12月には入園申し込み書類を出さないといけないので、その前に保育園の見学に行きました。保育士さんたちは皆笑顔で、園長先生もじっくりと話を聞いてくださり、ここに早く預けたいと思うようになりました。一時保育についても聞きましたが、「今はいっぱいです」とのことで、残念ながらあきらめました。
身体が楽になってきたこともあり、仕事復帰する前に徐々にいろんな刺激を与えていこうと思い、支援センターに行ってみました。復帰したら私自身も子育てのコミュニティに参加できなくなると思ったからです。 ところが着いたとたんに娘はぐずり始め、スタッフさんや他のママたちとも話ができない状態になってしまいました。あまりの大泣きに早々に退散しましたが、笑顔の赤ちゃんたちやママさんたちを見て、より一層孤独を感じてしまいました。仕事の都合で引っ越してきたこの土地で、何のつながりもなく、子育てしていくのは寂しいなあ、難しいなあと思いました。
体調はだいぶ回復したので、離乳食セミナーにも参加してみることにしました。同じくらいの月齢の子が集まるので、もしかして他のママとも会話できるかもしれない、と思ったからです。 畳の部屋に娘をごろんと寝かせたとき、娘がとなりの男の子を見て、にこっと笑ったのです。めったに笑わない娘が!これは何かの縁かも、勝手な勘違いでもいいや、と思いつつ、その男の子のママに勇気を振り絞って話しかけてみました。その方も、「仕事の都合で引っ越してきたので誰も知り合いがいなくて」と話されていて意気投合。メアド交換して連絡を取り合うことになりました。
生後5か月を過ぎたので、そろそろ離乳食を始めてみようと思いました。 初めはすぐに吐き出してしまうので、仕方ないかと思っていたら、その後も、手を変え品を変えても、吐き出し続け、結局食べないまま保育園入園に「突入」しました。ミルクも飲まない、完全母乳だけになってしまったまま、離乳食も一切食べない状態で8か月が過ぎ、保育園に入園してから保育士さんに相談することになりました。(つづく)
私の産後トラブル記
私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。
ファミリーサポートセンターに相談する
産後から4か月、なんとかだましだましやってきた腱鞘炎が悪化し、接骨院に通院することになりました。ここからさらに4か月経ったら、仕事に復帰しなければなりません。子どもの発熱などで、保育園で預けられないときに見てもらえる方が必要となります。そこで、ファミリーサポートセンターに相談をしました。
事務局の方とサポートしてくださる方が、我が家まで面接に来てくださいました。優しい声かけで、私の体調を気遣ってくださり、涙が出るほど有り難かったことを覚えています。
有料ではありますが、ほとんどボランティアのような金額で、本当に申し訳ない気持ちになりました。
サポートを依頼する
サポートしてくださる方は、自宅から歩いて15分ほどのところに住んでいらっしゃるご年配のOさんという女性でした。穏やかな話し方で「大丈夫よ」とおっしゃってくださいました。
通院の帰りには、買い物にも寄り、週に1度、1時間半から2時間ほどでしたが、子どもからほんの少し離れて、リフレッシュする時間をとれるようになりました。
体調が戻らない。もしかして産後うつ?
腱鞘炎の方は、包帯で固定している間は不自由ながら痛みはないのですが、お風呂や寝るときに外したあと、親指を開いてしまうと痛みが走る状態が続いていました。
それに加えて、身体中の関節の痛みが出てきました。ストレッチは毎日やっていましたが、慢性的な睡眠不足と筋力低下で関節がギシギシと痛み出しました。
夫が心配して声をかけてくれても、「痛い」としか言えませんでした。
娘は、話しかけたり笑いかけても、めったに笑い返してくれることがなかったので、他の赤ちゃんが笑っているのを見ると悲しい気持ちになりました。
自分が情けなくて仕方なくて、今思えば、これが「産後うつ」だったのだと思います。
整体の師匠のところへ行く
整体の師匠は逗子に住んでいて、秦野からは電車で2時間、車で1時間半くらいかかります。夫は目の問題があり、運転ができません。授乳の時間もあるため、整体を受けたくても行くことができませんでした。
しかし、身体が限界を迎えていて、腱鞘炎もあり、自分で整体することもできない中、これはもう行くしかない、と意を決し、家族全員でうかがわせていただくことにしました。
私が整体を受けている間、娘を夫に見てもらい、両手とも腱鞘炎でも自分で治せる方法を教えてもらいました。
ようやく体調を取り戻す
整体で骨盤の歪みを治してもらってからは楽になり、精神的にも元気になってきたので、もっと早く行けばよかったと心底思いました。
腱鞘炎も徐々に良くなり、包帯を外しても前ほど痛みがなくなってきたので、サポーターに切り替えました。
接骨院への通院はやめて、サポートのOさんには、泣くばかりで笑わない娘の様子を見てもらいながら、私の話しを聞いてもらったり、育児を手伝ってもらうことにしました。
一時的ではありましたが、自分が産後うつの状態だったのだと認識し、骨盤を整えて身体を楽にすることで、心にも少しずつ変化が起きるきっかけになるのだと思いました。
あのとき私が、整体やサポートを依頼していなければ、自分が情けない母親だと責め続け、殻に閉じこもった上に、夫も巻き込んで抜け出せない状態になっていたかもしれません。
保育園の見学に行く
娘は7月生まれですが、保育園には4月入園でないと希望のところには入りにくいと聞いたので、4月に仕事復帰することにしました。12月には入園申し込み書類を出さないといけないので、その前に保育園の見学に行きました。保育士さんたちは皆笑顔で、園長先生もじっくりと話を聞いてくださり、ここに早く預けたいと思うようになりました。一時保育についても聞きましたが、「今はいっぱいです」とのことで、残念ながらあきらめました。
育児支援センターに行ってみる
身体が楽になってきたこともあり、仕事復帰する前に徐々にいろんな刺激を与えていこうと思い、支援センターに行ってみました。復帰したら私自身も子育てのコミュニティに参加できなくなると思ったからです。
ところが着いたとたんに娘はぐずり始め、スタッフさんや他のママたちとも話ができない状態になってしまいました。あまりの大泣きに早々に退散しましたが、笑顔の赤ちゃんたちやママさんたちを見て、より一層孤独を感じてしまいました。仕事の都合で引っ越してきたこの土地で、何のつながりもなく、子育てしていくのは寂しいなあ、難しいなあと思いました。
離乳食セミナーに行ってみる
体調はだいぶ回復したので、離乳食セミナーにも参加してみることにしました。同じくらいの月齢の子が集まるので、もしかして他のママとも会話できるかもしれない、と思ったからです。
畳の部屋に娘をごろんと寝かせたとき、娘がとなりの男の子を見て、にこっと笑ったのです。めったに笑わない娘が!これは何かの縁かも、勝手な勘違いでもいいや、と思いつつ、その男の子のママに勇気を振り絞って話しかけてみました。その方も、「仕事の都合で引っ越してきたので誰も知り合いがいなくて」と話されていて意気投合。メアド交換して連絡を取り合うことになりました。
離乳食を食べない
生後5か月を過ぎたので、そろそろ離乳食を始めてみようと思いました。
初めはすぐに吐き出してしまうので、仕方ないかと思っていたら、その後も、手を変え品を変えても、吐き出し続け、結局食べないまま保育園入園に「突入」しました。ミルクも飲まない、完全母乳だけになってしまったまま、離乳食も一切食べない状態で8か月が過ぎ、保育園に入園してから保育士さんに相談することになりました。(つづく)