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2021/03/29
私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。 こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。
私の産前・産後はトラブルだらけでした。乳腺炎と全身の痛み、昼夜逆転で夜寝ない子を抱っこし続けて腱鞘炎になり、イライラとうつ状態の繰り返しでした。後から考えれば、これは妊娠前から始まっていたのです。
私は看護師として、訪問看護とケアマネジャー、そしてすべての責任者を兼務する中間管理職でした。すでに産休中のスタッフや育休明けで休みが必要なスタッフのフォローで、常に人員不足、残業の日々でした。子どもは欲しいけれど、もともとの体調不良に加えて、これ以上の人手不足ではつぶれてしまうという思いもあってか、なかなか妊娠しませんでした。
しかし、子どもを授かりたいという想いは強く、股関節の治療で通っていた整体の師匠に相談し、集中的に骨盤矯正をしてもらい、やっと妊娠しました。喜びもつかの間、職場の人手不足は相変わらずで、6か月を過ぎた頃からお腹が張り始め、医師から安静にするようにと言われながらも休むことはできませんでした。大きいお腹が引っ掛かりながら寝たきりのお年寄りを車いすに移したり、お風呂に入れたり、リハビリをしたりと働き続け、一日中車で移動していました。
ようやく育休明けのスタッフに引き継ぎが終わったのは、32週に入ってからでした。それから、身体を起こせないほどの痛みが続き、徐々に寝たきりになっていき、36週で早産になってしまいました。おそらくこの間に筋力低下が急激に起こっていて、産後は、妊娠前より体重が5キロ減っていました。出産前は、寝たきりの患者さんを起こせたのに、産後に3キロ弱の娘を授乳で抱っこし続けると疲れてしまうなんて、本当に信じられませんでした。
とにかく、すぐに疲れて眠くて、でもすぐに授乳しなくてはいけないのに眠れなくて。待望の我が子はかわいいのに、身体が辛い。授乳しようとしても、娘は吸えずに泣き続けます。おっぱいの乳首の形がつぶれているため、助産師さんから、「ニプル」という、哺乳瓶の先のような形の器具をおっぱいに付けることをすすめられました。娘がその器具に慣れるのにも時間がかかりました。くわえて吸えなくて口を開けると落っこちてしまい、消毒して、また付けて、泣きすぎて吸えなくなり、寝てしまう、起こしてまた吸わせての繰り返しで、授乳と抱っこに、かなりの時間がかかってしまいました。
母乳をあきらめてミルクだけにするか迷っていたところ、助産師さんが母乳マッサージをしてくださり、母乳が出るようになってきました。翌日退院とになりましたが、バタバタしているうちに、おっぱいがまた張ってきていました。娘はまだ吸い付けないままで、ミルクを足していました。退院した日には、実家の母が来てくれて、夕食に赤飯を焚いてくれ、天ぷらまで作ってくれました。うれしくて食べ過ぎたと思います。
その夜、急な悪寒がやってきて、歯と歯が合わせられないほどガチガチと震えて、毛布を引っ張り出しました。真夏の夜なのに、寒くて死にそうなほどです。ようやく温まってきたと思っていたら、今度は急激に暑くなり、びっしょりの汗。すぐにふとんをはいで、熱を測ると、40℃。今までみたことのない体温にびっくりしました。そしておっぱいはガチガチに固まっています。母乳はほぼ出ない状態になってしまいました。これが乳腺炎なのか、恐ろしい、と思いました。
ひまわり助産院に助けを求める 入院中に知り合ったママから聞いた、母乳ケアをしてくださる開業助産師さんのことを思い出し、翌朝電話をしました。ひまわり助産院の丸山さんという方でした。熱があって動けないと伝えたところ、訪問してくださることになりました。診察していただいたところ、退院してすぐにここまでガチガチに固まってしまうのも珍しいと驚かれました。考えられる原因は、いくつかありました。
まず、乳首の形がつぶれていて、うまく吸えないこと、吸う力に応じて徐々に乳腺が開通していくのですが、退院前にマッサージでかなり開通したにもかかわらず、うまく吸えなかったために詰まってしまったこと。 次に、食事。赤飯などのもち米は、母乳の分泌を促すので、母乳が足りないときにはいいけれど、分泌しているのに吸いきれないときは、詰まる原因になってしまうこと。油や砂糖は特につまりやすいので、控えることが必要だったのです。私はもともと脂っこいものも甘いものも大好きだったので、もしかしたら妊娠中から詰まっていたのかもしれません。 丸山さんからは、炎症を起こしたおっぱいの熱を取るために、キャベツでシップがわりにする方法も教えていただきました。あっという間に訪問時間を超過してしまいました。お忙しい中、ていねいに説明してくださったのを覚えています。
他の要因は多々あり、産休ギリギリ前まで仕事をしたり、切迫でお腹が痛くて不眠が続いていたこと、引っ越しをしたこと、高齢出産であったこと等々、考えだしたらキリがないほどです。
その後も娘がうまく吸えないのは相変わらずで、熱は下がったものの、おっぱいの炎症は続くため、翌日も訪問していただきました。吸いつかせ方、授乳の抱っこの仕方等々、いろいろと教えていただいたのですが、肩に力が入ったままで、必死におっぱいと娘の頭をつかんでくわえさせるのを繰り返していたため、だんだんと手首と首が痛くなってきました。
今振り返ってみれば、これが腱鞘炎の始まりだったのだと思います。授乳に必死になりすぎて、ひどい授乳の姿勢で、骨盤も背骨も曲がり、後の不調につながったのだと思います。(つづく)
私の産後トラブル記
私は、骨盤の歪みから妊娠しにくかった身体を整体で治していただき、娘を授かりました。しかし、産後の身体の状態は思わしくなく、とても辛い時期を過ごしました。
こうした自分の体験から、妊娠を望んでいても難しい方や、産後の辛い症状をかかえる方たちのお役に立てたらという思いで整体の仕事をしています。産前・産後の辛さをはじめとして、医学では対応しきれない、なかなか家族にもわかってもらえない痛みを少しでもやわらげるヒントになればと思い、これから何回かに分けて、私の「産後トラブル」とその対処について、みなさんにご紹介できればと思います。
第1回 切迫早産による筋力低下から腱鞘炎への道
産後トラブルは妊娠前から始まっていた
私の産前・産後はトラブルだらけでした。乳腺炎と全身の痛み、昼夜逆転で夜寝ない子を抱っこし続けて腱鞘炎になり、イライラとうつ状態の繰り返しでした。後から考えれば、これは妊娠前から始まっていたのです。
妊娠できない状況と体の不調
私は看護師として、訪問看護とケアマネジャー、そしてすべての責任者を兼務する中間管理職でした。すでに産休中のスタッフや育休明けで休みが必要なスタッフのフォローで、常に人員不足、残業の日々でした。子どもは欲しいけれど、もともとの体調不良に加えて、これ以上の人手不足ではつぶれてしまうという思いもあってか、なかなか妊娠しませんでした。
整体による不妊治療
しかし、子どもを授かりたいという想いは強く、股関節の治療で通っていた整体の師匠に相談し、集中的に骨盤矯正をしてもらい、やっと妊娠しました。喜びもつかの間、職場の人手不足は相変わらずで、6か月を過ぎた頃からお腹が張り始め、医師から安静にするようにと言われながらも休むことはできませんでした。大きいお腹が引っ掛かりながら寝たきりのお年寄りを車いすに移したり、お風呂に入れたり、リハビリをしたりと働き続け、一日中車で移動していました。
切迫早産になる
ようやく育休明けのスタッフに引き継ぎが終わったのは、32週に入ってからでした。それから、身体を起こせないほどの痛みが続き、徐々に寝たきりになっていき、36週で早産になってしまいました。おそらくこの間に筋力低下が急激に起こっていて、産後は、妊娠前より体重が5キロ減っていました。出産前は、寝たきりの患者さんを起こせたのに、産後に3キロ弱の娘を授乳で抱っこし続けると疲れてしまうなんて、本当に信じられませんでした。
おっぱいが吸えない
とにかく、すぐに疲れて眠くて、でもすぐに授乳しなくてはいけないのに眠れなくて。待望の我が子はかわいいのに、身体が辛い。授乳しようとしても、娘は吸えずに泣き続けます。おっぱいの乳首の形がつぶれているため、助産師さんから、「ニプル」という、哺乳瓶の先のような形の器具をおっぱいに付けることをすすめられました。娘がその器具に慣れるのにも時間がかかりました。くわえて吸えなくて口を開けると落っこちてしまい、消毒して、また付けて、泣きすぎて吸えなくなり、寝てしまう、起こしてまた吸わせての繰り返しで、授乳と抱っこに、かなりの時間がかかってしまいました。
母乳をあきらめてミルクだけにするか迷っていたところ、助産師さんが母乳マッサージをしてくださり、母乳が出るようになってきました。翌日退院とになりましたが、バタバタしているうちに、おっぱいがまた張ってきていました。娘はまだ吸い付けないままで、ミルクを足していました。退院した日には、実家の母が来てくれて、夕食に赤飯を焚いてくれ、天ぷらまで作ってくれました。うれしくて食べ過ぎたと思います。
乳腺炎になる
その夜、急な悪寒がやってきて、歯と歯が合わせられないほどガチガチと震えて、毛布を引っ張り出しました。真夏の夜なのに、寒くて死にそうなほどです。ようやく温まってきたと思っていたら、今度は急激に暑くなり、びっしょりの汗。すぐにふとんをはいで、熱を測ると、40℃。今までみたことのない体温にびっくりしました。そしておっぱいはガチガチに固まっています。母乳はほぼ出ない状態になってしまいました。これが乳腺炎なのか、恐ろしい、と思いました。
ひまわり助産院に助けを求める
入院中に知り合ったママから聞いた、母乳ケアをしてくださる開業助産師さんのことを思い出し、翌朝電話をしました。ひまわり助産院の丸山さんという方でした。熱があって動けないと伝えたところ、訪問してくださることになりました。診察していただいたところ、退院してすぐにここまでガチガチに固まってしまうのも珍しいと驚かれました。考えられる原因は、いくつかありました。
乳腺炎の原因
まず、乳首の形がつぶれていて、うまく吸えないこと、吸う力に応じて徐々に乳腺が開通していくのですが、退院前にマッサージでかなり開通したにもかかわらず、うまく吸えなかったために詰まってしまったこと。
次に、食事。赤飯などのもち米は、母乳の分泌を促すので、母乳が足りないときにはいいけれど、分泌しているのに吸いきれないときは、詰まる原因になってしまうこと。油や砂糖は特につまりやすいので、控えることが必要だったのです。私はもともと脂っこいものも甘いものも大好きだったので、もしかしたら妊娠中から詰まっていたのかもしれません。
丸山さんからは、炎症を起こしたおっぱいの熱を取るために、キャベツでシップがわりにする方法も教えていただきました。あっという間に訪問時間を超過してしまいました。お忙しい中、ていねいに説明してくださったのを覚えています。
他の要因は多々あり、産休ギリギリ前まで仕事をしたり、切迫でお腹が痛くて不眠が続いていたこと、引っ越しをしたこと、高齢出産であったこと等々、考えだしたらキリがないほどです。
乳腺炎から腱鞘炎へ
その後も娘がうまく吸えないのは相変わらずで、熱は下がったものの、おっぱいの炎症は続くため、翌日も訪問していただきました。吸いつかせ方、授乳の抱っこの仕方等々、いろいろと教えていただいたのですが、肩に力が入ったままで、必死におっぱいと娘の頭をつかんでくわえさせるのを繰り返していたため、だんだんと手首と首が痛くなってきました。
今振り返ってみれば、これが腱鞘炎の始まりだったのだと思います。授乳に必死になりすぎて、ひどい授乳の姿勢で、骨盤も背骨も曲がり、後の不調につながったのだと思います。(つづく)